第22回  猪木から影響を受けた青年達 その2

2023年3月30日9時55分に「大阪に到着しました。会長は今日何時、時間大丈夫ですか。会社に会いに行きます」というショートメールが突然入ってきました。
信人は東方英雄伝の所属であった林という選手からです。流暢な日本文での内容です。東方英雄伝はコロナ禍にいて消滅したと聞いていました。私は驚き、「日本語OK」と返信しました。
「私は日本語が出来ません」と日本語で書かれてありました。その夜急遽、彼らと会いました。
2人は大きな旅行鞄を持ってやってきました。コロナが明けた中国からの入国解禁なのでしょう。
2017年年末に中国シンセン大会以来、6年ぶりの再会だったと思います。

かつて猪木が2008年の北京オリンピック大会終了後に、私に「中国でプロレスを広めたい」というところからこのストーリーは始まっています。既にこの「人プラ」でも掲載されています。
猪木と中国河南省にある嵩山少林寺にも行き、責任者とも会いました。上海でプロレス興行したこともあります。紆余曲折ありましたが、全ては猪木の「中国でプロレスを広めたい」からの始まりです。中国に本格的に参入したのは猪木が設立したIGFだといっても過言ではありません。
中国の若者達は猪木に憧れ、日本のプロレスに憧れてプロレスラーの道に進んだのです。
当時の上海IGF道場に延べ50人を超える人達が問い合わせし、やって来ました。中には家が貧しくて僅かなお金を持ってきた青年達もいます。その中から世界最大のプロレス団体WWEに入門した中国選手も誕生しました。全て猪木の「中国でプロレスを広めたい」から始まった事です。
私は林選手と程選手に「君らはコロナ禍にあって5年以上の空白があったが、プロレスラーの夢を捨てないのなら、私も関わりあった一人として出来る限りの面倒は見ます。よって中国でプロレスを広める時、アントニオ猪木の名前は絶対に忘れないように」と約束しました。
彼らは猪木の事を「プロレスの神様」と思っています。

3か月のビザで彼らも様子見で来たのでしょう。まずはマンションを借りました。その後、語学専門学校の理事長を知っているので、短期コースに採用して貰いました。
彼らはコロナ前に来日してプロレスの勉強をしたいとの事で、ドラゴンゲートと面会した経緯があります。
翌日、彼らは何で調べたのか「大阪で大日本プロレスが来るので観たい」との事で、グレート小鹿さんにお願いしたところ、席を準備して貰いました。翌日グレート小鹿さんより電話を頂き「彼を預かってもいい」との嬉しい報告を頂きましたが、事前にドラゴンゲートにお願いしている事もあり、その状況を説明しました。ノアの武田役員にも以前より話していた事があり、宿泊先さえ準備すればOKとの事でした。こうしてプロレスを夢見る中国人の若者に対して、多くの人達の温かい声があり、ほっとしています。私は彼らにマンションと語学学校、それにドラゴンゲートのプロレス学校入門の費用を負担する事を約束し、彼らには猪木が夢に見た「中国にプロレスを」を実現する事をお願いしました。彼らもハルン君と同じ、猪木から影響を受けた青年達の一人です。

「天国の猪木さん、猪木さんに憧れてプロレスラーを目指している中国の若者達を天国から応援してあげて下さい」

次回、5月15日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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