第155回  甘井素之氏について

今年初めての「天国の猪木へ」です。
昨年10月3日以来、しばらく執筆を止めていました。昨年10月1日以降の大きな出来事としては、猪木が生きていれば83歳の誕生日前日である今年2月19日に「アンドロイド猪木」の発表会がありました。既にネットニュース等で大きく取り上げられています。
アンドロイド研究の第一人者である石黒浩大阪大学名誉教授らとの出会いにより、いよいよ実現する事となりました。この「天国の猪木へ」でも「AI猪木」を取り上げましたが、当時から考えれば想像を超える出来事です。この間にも色々な出来事があり、表に出ていないお話も含めて本来であれば「天国の猪木へ」で紹介するところでした。私自身が「天国の猪木へ」に時間が取れない事もありましたが、ネットニュース等で既に取り上げられている事を改めてここでお話する必要もないかな、と思っていました。今年に入って、猪木ファンの皆さんから「最近、『天国の猪木へ』が掲載されていない」という声を数多く聞きました。50人を超えています。中には意外な方から質問を受け、「えっ!読んでいただいているのですか」と、その事にむしろ驚く事もありました。本日、特別な理由があって書くわけではありません。1時間程時間が空いたので、少し書きたい案件がありました。

先程述べた2月19日の「アンドロイド猪木」発表会の翌日、すなわち2月20日猪木の誕生日の夜に関係者から「甘井さんが亡くなりました」のLINEが入りました。甘井さんとは、「甘井素之」氏の事です。ネットニュース等では「猪木の元マネージャー」で紹介されています。実は、甘井氏を猪木に紹介したのは私です。

OSGに出入りしていた広告代理店「共同広告」の担当者である東部長から紹介されたのが、今から30年程前でした。甘井氏が20歳過ぎだったと思います。私が40歳過ぎです。当時、髪の毛を七色に染めていたのが印象的でした。愛媛から出て来たとの事でした。企画書等のレイアウトを引き受けるのでよろしくお願いします、と担当から言われたのが最初の出会いです。
それから数年後に「東京に出て来た」との事で、「甘ちゃんオフィス」の名刺を持って来ました。私は、1人東京で頑張っているとの事でそこから親しくなりました。最初はJR恵比寿駅から徒歩5分ぐらいのオフィスを借りていました。確か自宅を兼ねていたと思います。私と年齢が20歳ほど離れ、当時は本人も東京にそれほど人脈があるのではなく、そんな彼を何とか面倒見なければならないと思いました。人懐っこさが気に入ったのでしょう。そんな関係から、猪木がよく行っていた「ズッコbar」に彼を連れて行きました。ちなみに、「ズッコbar」の開店資金は、猪木に頼まれて私が全額出しました。六本木の芋洗坂にあった最初の店は立ち退きにあい、2店目の店に連れて行きました。彼はギターを弾き、芸達者な一面もありました。彼のお得意の歌は忌野清志郎の「雨上がりの夜空に」でした。私も猪木もワインを飲みながら聴いていたものです。場を明るくし、とにかく猪木が喜んでくれているなら、とそれから甘井氏に「時間があれば、私抜きでも来るように」と言いました。彼は私と飲むときはバーボンでした。彼の「甘ちゃんオフィス」の恵比寿のバーでもよく飲みました。独身の彼に、月並みながら「早く結婚するように」と言った事もありました。それから数年経って、結婚し、離婚したという報告をもらいました。愛媛にいるお母さんを引き取り、恵比寿から引っ越して一軒家の借家をオフィスにしていました。そこにも企画書作成のために何度も訪れた事があります。そんな関係から、彼はIGFにも出入りするようになりました。
ある時、お母さんが俳句をされるので、ある雑誌に掲載。その雑誌に本人も執筆し、その関係から「ロス疑惑」等でマスコミに取り上げられていた三浦和義氏に彼が書いた文章で訴えられた、と相談を受けた事もありました。また、雑誌の持ち主であるS本会長が、当時オランダ発祥の名門ジム「チャクリキ」の日本拠点であるドージョー・チャクリキ株式会社の代表でした。何を思ったのか彼が「ドージョー・チャクリキ株式会社を買い取りたい」と私に相談があり、私は全額彼に貸しました。その条件として、私の甥っ子を役員にする事になりました。今もこの会社はあるのでしょうか?ネットニュースを見ると「2024年2月まで代表を務めた」となっているので、どうなっているのでしょうか。いずれにしても、彼が本業の企画制作のデザインから格闘技界に身を置いた背景は、少なからず私を通じて「IGF」での出入りや猪木との関係があったからでしょう。

ご承知の事だと思いますが、彼が「猪木のマネージャー」と呼ばれるようになった時期は、私と猪木が訴訟問題を起こした時点に符号します。この「天国の猪木へ」でよく登場する、いわゆる「猪木の取り巻き連中」の1人である事は間違いありません。彼も彼の人生があり、彼の考え方があります。その事を私がとやかく言う筋合いはありません。いずれにしても、ある時期から私たちは「敵対関係」になったわけです。しかし、猪木のお通夜の晩、彼が白金のマンションに来た時に私は「これからは、猪木という大きな木の下で出会ったのだから、今までの事は水に流していつでも連絡しなさい」と伝えました。しかし、それから3年を過ぎましたが連絡がなく、偶然にも今年の1月7日に会うわけです。


次回、3月22日に掲載予定です。

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