第78回  中国にプロレスを「迷わず行けよ、行けばわかるさ」

1月4日。私は東京ドームにいました。
「イッテンヨン」の試合を観戦する為ではありません。
この日、OSGグループの初出式でした。そこでOSGグループ全社員に向けて年始のスピーチを行いました。私は大阪本社から出席し、全国の営業所を繋いだオンラインでの初出式です。
スピーチを終えた後、11時の新幹線に乗り、14時に中国プロレスラー王彬選手と合流しました。この日、新日本プロレスはアジア太平洋プロレス連盟「APFW」設立を翌日に発表するという事で、中国・台湾・タイ・シンガポールのプロレス団体の代表らを「イッテンヨン」観戦に招待していました。いよいよ、従来の欧米での大会開催から、特に世界最大のマーケットである中国進出への足掛かりとして、アジア太平洋プロレス連盟「APFW」を設立したのでしょうか。
私はこの日、新日本プロレスの木谷オーナーとの面談を模索していました。
「プロレスの神様」がチャンスを与えてくれたのか、タイミングよく木谷オーナーと話す機会を得ました。2008年「北京オリンピック」が終了した頃に、猪木が「中国にプロレスが間違いなく必要だ」との思いから、2003年から中国事業に進出している私に、協力要請がありました。もう15年も前の古い話です。その間、紆余曲折がありましたが、何とか実現に向けての第1歩が動き出しそうです。猪木の「中国でプロレスを」の発言によって誕生したのが、中国のプロレスラー王彬選手です。私は常々、王彬選手に「猪木さんの『中国にプロレスを』の思いを実現するのは王彬ですよ」と繰り返し繰り返し伝えていました。

猪木が2013年にIGF主催で上海にてプロレス興行をした時に、18歳の王彬と出会いました。全く格闘技アスリートでなかった王彬青年に、私が「プロレスラーにならないか」と口説き、それから10年の歳月が流れました。その間にIGFから中国初のWWE入団として王彬選手が誕生しました。それもこれも全ては、猪木の「中国にプロレスを」の思いから始まった事です。私と木谷オーナーは、昨年の映画「アントニオ猪木をさがして」試写会の時に「中国にプロレスを」の話をして以来の面談でした。

この日、私は翌日のスケジュールの為に日帰りで東京から大阪に戻らなければなりませんでした。
たどたどしい日本語の王彬選手に「後はしっかり頼むぞ」と言って、東京ドームを後にしました。6日のネット記事によると、1月5日に「APFW」設立の記者会見があった事を知りました。その記事によると王彬選手のコメントも掲載されていました。
彼のコメントの冒頭に「今回のご招待ありがとうございます。10年前、アントニオ猪木さんが日本のプロレス文化を中国に伝えました。その時、私は夢をいだきました。それは日本のプロレス文化を中国で広げる事です。~略~」と、明確に自分の使命を発言していました。

「猪木さん。若い中国人青年が猪木さんの遺志を継いでいます。温かく見守り、そして力強く応援してあげて下さい」
猪木の「迷わず行けよ、行けばわかるさ」が聞こえそうです。

次回、1月20日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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