第61回  1年を過ぎての気がかりな事

猪木が亡くなってから1年が経ちました。
予期せぬ出来事でした。というのは、猪木の死に対してでもありますが、猪木の死から以降、私がここまで関わり合う事こそ予期せぬ出来事でした。

ここで明確にしておかなければならない事があります。
それは、私がやってきた1年間は「ご遺族の意向」に沿って以外はないという事です。そこには必ずご遺族の依頼があって動いているわけです。
「湯川さんしかいない」の言葉が私を突き動かしています。

もし、ご遺族の意向とは違う点があるとすれば「映画の製作」です。
これは生前の猪木との約束への実現です。勿論、ご遺族に相談をし、許可を得ました。
そう言えば「アントニオ猪木に国民栄誉賞を授与させる会」も私の一存です。
猪木が亡くなった時に「アントニオ猪木こそ国民栄誉賞を受賞するべきだ」という声がネットニュース等で多く流れました。私も受賞すれば嬉しいな、と思いました。しかし、これは誰かが旗を振らなければ実現しないだろう、と思い立ったわけです。そこで政府関係者やそれに親しい人に相談したところ、ほとんどの方からの意見は「難しい」との事でした。しかしこればかりはやってみなければ分からない、と思い、今もその準備に走っています。勿論ご遺族の意見も確認し動いています。

映画と国民栄誉賞署名運動以外のことは、お通夜から告別式、そして四十九日法要。
「お別れ会」においてもご遺族のご依頼もあり、動いているわけです。お墓の大改装や記念碑・ブロンズ像の建立もご遺族からのご依頼もあり「湯川さんしかいない」の一言でこの1年間動いてきたわけです。納骨問題においても同様です。これはご遺族の問題であり、私が意見を言う立場ではありません。アドバイスもしません。問われたならば、意見を言います。生前の猪木との約束もあり、その事はご遺族には伝えますがそれ以上の事は私自身意見を言う立場ではありません。その事をわきまえてやってきました。10月のロサンゼルスへの訪問もこの1年間の報告と、ある話をするために渡米したわけですが、そこには「納骨問題」は入っていません。

時々「猪木」と会話をします。
私は猪木に言います。「猪木さん。回りまわって亡くなった猪木さんのお世話をすることになりました。喜んで私の出来る限りのことは全力を尽くしてやります」と何度も話しかけています。こんな時は実は悩んでいる時です。だから力を貸してほしい、という時に会話をします。
この1年間での一番の悩みは「準備」に対してです。
簡単な事を言えば、私の知らない猪木がお世話になった人達への配慮です。
「お別れ会」もそうですし、「一周忌法要」の時もそうです。本来、猪木の為に連絡をしなければならない人達が多くいたのではないか、と今も思います。「仕方がない」と言えば、それで済むのかもしれませんが、呼ばれていない方の事を思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。もし逆に、私がそのような立場になった時「なんだ」と思い、今まで猪木に対しての思いが逆にネガティブな方向に行くのではないか、という事です。勿論、亡くなった猪木の責任ではありません。
猪木が亡くなって以降にお世話をしている私達に問題があるわけです。引き受けた限りにおいては、やはり「連絡漏れ」はあってはいけないのです。
この1年を終えて反省することは「お別れ会」の運営は間違っていなかったか、という事と連絡をしていない方への申し訳なさだけです。ここのところは、亡くなった猪木との連絡が取れないことに免じて許してほしい、などという気持ちもありません。
ただただ、連絡を受けられなかった方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
せめて、この「天国の猪木へ」の場でお詫びの機会とさせて下さい。

次回、11月1日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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