第54回  命日に墓参記帳受付

10月4日新幹線車中にて、10月6日付けの原稿を書いています。
そう言えば、10月6日は映画「アントニオ猪木をさがして」の全国公開日です。
皆さん、アントニオ猪木に会いに行って下さい。

さて、本題に入ります。
10月1日午前6時40分。私は啓介さんの車に同乗し、總持寺に向かいました。
受付スタッフに「7時20分までに到着」と知らせていましたが、私が總持寺に到着した時には既にスタッフが待機していました。
受付の前には、恐らくファンの方だと思われる方が15名以上、並んでいました。
受付開始の7時40分まで、あと20分。
スタッフの2名が『国民栄誉賞』の署名書類の封入作業に忙しくしていたので、私も手伝いに入りましたが、人数不足で作業効率が上がりません。
私は、並んでいるファンの方に声を掛けました。
「すみません。前から4番までの方、作業を手伝ってもらえませんか」と言い、順番を間違わないように「あなたが1番。そしてあなたが2番ですね」と確認をした上で手伝って貰いました。
私が声をかけた4名の方は、決して迷惑そうな感じではなく(すみません。もしかしたら迷惑だったかもしれせんが、私の主観です)、むしろ5番目以降に並ぶ人からも「オレにも手伝わせろ」という雰囲気さえ感じられて(これも私の主観ですみません)受付時間まで待って頂きました。
私は1番最初に並んだファンとおぼしき方と一緒に作業をしながら「何時頃に来られたのですか」と尋ねると、埼玉の深谷から来られたとの事で、6時30分には到着していたそうです。
「ありがたい」と思いました。
私はふと猪木に挨拶をしていないことに気付き、猪木家のお墓に改めてお参りしました。

總持寺にて用意して頂いたテントには、長テーブル4台と椅子4脚が設置されました。
テーブル2台は記帳台として、1台は荷物置きに使用し、残り1台は猪木の等身大パネルが倒れないようしっかりと支える為に使用しました。設置された受付テントから10メートル程下ったところが、猪木家の墓所です。私は一礼し「猪木家」と書かれた墓石に手を合わせました。
私は猪木に向かって「ようやくこの日を迎えました。多くのファンの方が早朝から並んでくれています。ファンの方はこの日をどれほど待ち望んでいた事でしょう」と話しました。
『猪木のブロンズ像』の肩に手を置き、受付に戻ると、ちょうど7時40分になりました。
記帳受付開始です。
テーブル1台に芳名帳を2冊、計4冊の芳名帳と『国民栄誉賞』授与応援の署名用紙入り封筒を設置しました。私が到着してから30分の間に、次々と墓参の方々が集まってくれました。

これも私の主観ですが、朝早くから並んでくれた方は間違いなく「猪木信者」です。
記帳後、猪木家の墓所に設置された『猪木のブロンズ像』の前で写真撮影され、多くの方が六本木ヒルズのTOHOシネマズで行なわれる『一周忌先行上映』に行くとの事でした。
私は「いってらっしゃい」「めちゃめちゃいいよ」と声を掛けました。
墓参された方の中には「昨日もお参りして、今日は記帳に来ました」という方もいました。

受付を手伝ってくれているスタッフの方は、事前に誰が何をする、ということを決めていませんでしたが、それぞれの役割でお手伝いをしてくれました。例えば、總持寺は広大な寺院で、猪木のお墓を探すのは大変です。そんな時、遠くから猪木の等身大パネルが見えます。ガウンを着たアントニオ猪木のパネルがあると「あそこだ!」と目印になります。その役割をアントニオ猪木関西後援会の髙島さんが担当してくれました。等身大パネル前での記念撮影されるファンの方の為に、カメラマン役もしてくれました。前夜遅くに大阪から来てくれた「超猪木信者」です。
受付は私を含めて4名が対応しました。
記帳受付の傍に設置された等身大パネルの隣にはこの日、駆けつけてくれたアントキの猪木とアントニオ小猪木が待機していて、記帳された方と猪木のパネルと共に記念撮影をしてくれました。また『猪木のブロンズ像』前でも記念撮影のカメラマンをしてくれているスタッフもいました。
みんなが、猪木に動かされているように、この日の朝を迎えました。

次回、10月7日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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