第53回  燃え尽き症候群一歩手前か

10月4日16時。
あと1時間で東京へ移動するという時間迫る中で、この「天国の猪木へ」を書いています。

10月1日の猪木の命日に、猪木のお墓にお参りされる方々に「墓参受付記帳」を猪木が亡くなった「7時40分」から受付を開始しました。
受付終了時間を事前に「15時」と告知していましたが、実際には16時近くまで受付けていました。
そんな「墓参受付記帳」以降、今この瞬間まで私は「猪木関連」の業務を一切行なっていません。
「行なっていない」というよりは、その気力がなくなった感じです。
どのように表現すればいいか分かりません。
「燃え尽き症候群」ではありませんが、それに似た感じかもしれません。
実は命日の後、2日と3日に「天国の猪木へ」を書く予定にしていましたが、一向に書く気が起こりませんでした。他のスケジュールはこなすのですが、「猪木関連」に対しては、ぽっかりと抜けてしまった感じです。唯一行なった事は、命日翌日の2日の夕刻に寛子さんの代理人である弁護士先生へ「無事、命日の墓参受付記帳が終わりました」と伝えたぐらいです。

本日の午前にOSGの社員さんから報告が入りました。
「湯川会長、『天国の猪木へ』の次回は明日の10月5日になっていますが、大丈夫でしょうか。ホームページ更新担当者が、まだ原稿を受け取っていないとの事です」
そして今、こうして明日10月5日の更新原稿をタイトなスケジュールの中、執筆しています。

昨年10月1日に猪木が亡くなった後、遺族の方の強い要望により様々な猪木追悼行事に関わってきました。お通夜から告別式。そして猪木追悼興行や3月の「お別れ会」準備として発起人の皆さんへの依頼。「お別れ会」開催を報告する為、ロサンゼルス在住の寛子さん家族を訪問。
映画「アントニオ猪木をさがして」の製作委員会への出席や猪木家の墓所大改修。そして猪木ブロンズ像や記念碑の準備等、あらゆる面で私の心身にかなりの負担がありましたが、「私がやらなければ誰がやるんだ」という自縄自縛の思いで、この1年を駆け抜けてきました。
ご遺族には申し訳ないですが、正直な気持ち「アントニオ猪木」の為だけにやってきました。
この1年、どれだけ猪木と話したか。
猪木へ何度も確認をしたり、自分の力不足を猪木に詫びたりしました。
喜んだことより、涙を流したことの方が多かった、そんな1年でした。
それが10月1日の「命日」を境に、何かしら緊張の糸がぷっつりと切れた感じです。

でも、こうして原稿に向かいながら、まだやらなければならない事があります。
それは、猪木に何としても「国民栄誉賞」を授与してもらいたい。
多くのファンの方がその署名運動に参加してくれています。
10月末をもって事務局へ頂いた「署名」を開示し、年内に次のステップへ行動を起こさなければなりません。

もし「元気があれば何でもできる!」と猪木が私に呼びかけたなら、私は「ふざけるな」と返すでしょう。しかし、その言葉によって背中を押され、突き動かされると思います。

どこかで猪木が「馬鹿になれ 馬鹿になれ 馬鹿になれ」と慰めてくれています。

次回は「10月1日命日の総持寺での記帳受付」について真面目に掲載したいと思います。

次回、10月6日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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