第47回  一周忌法要・記念碑除幕式を終えて

9月14日(木)16時。
私は今、OSG東京本部に予定時間ギリギリに到着し、明日掲載予定の「天国の猪木へ」を執筆しようとしています。

この「天国の猪木へ」を読んで頂いている方は2日前の9月12日に執り行われた「猪木一周忌」法要と「記念碑及びブロンズ像」の除幕式のニュースは既にご存知の事と思います。
平日にも関わらずネットニュースの言葉を借りれば、猪木の弟子として藤原・蝶野・小川・藤田や新日本プロレスや全日本プロレスそしてノアの選手達も参列してくれました。特に全日本プロレスの方々が19名参列された事に驚いています。
数日前に全日本プロレスから「19名参加はいいか」の問い合わせに「猪木を偲んで頂ける方なら人数の制限はありません」と回答しました。
10時からの一周忌法要は厳粛にて執り行われました。四十九日法要の時もそうでしたが、30名を超える僧侶が猪木の一周忌法要に相応しい供養をして頂きました。参列者の皆さんも「このような一周忌法要は初めて経験した。素晴らしい」と言って頂き感謝の気持ちでありますが、猪木本人が天国でどう見ているのか、読経を聞きながらその事ばかりが自分に言い聞かせていました。
元々、11時に開始する筈の「記念碑及びブロンズ像」除幕式は予定より15分程早く行なう事になりました。幕で覆われた猪木のブロンズ像の除幕セレモニーで紐を引くのは坂口征二相談役をはじめ、藤原義明・小川直也・蝶野正洋と新日本プロレスからオカダ・カズチカ選手、そして私の6名が担う事になっていました。この時、マスコミ関係者の多さに驚きました。テレビカメラも数台入っていました。その時の様子はネットニュース等でアップされていると思います。
その後、参列者の皆さんと会食する会場に移動しました。今回の「記念碑及びブロンズ像」の発起人の一人である森喜朗元総理大臣が入院中との事で代理の秘書の方がご挨拶してくれました。会食中にも森元総理から秘書の方に電話があり、「どんな感じだ」と気を遣って頂き、猪木の凄さを改めて知りました。

この日の私は当然の事ながら、喪服にて対応していました。天気に恵まれた總持寺は30度近い気温になっていましたが、暑がりの私が一度も上着を脱ぐ事も忘れていた事は、それだけ気が高ぶっていたのでしょう。汗でネクタイがしみ込んでいた位です。帰り、猪木の実弟である啓介さんが運転する車でJR田町駅まで送って貰いました。
この日、私は他のスケジュールは1件も入れず、猪木の法要に全てをかけていました。
何が起こるか分からないので、丸1日「猪木の一周忌法要」だけのスケジュールです。
この日の行事から解放された後、さすがに何もする気持ちが起こりませんでした。
ネットニュースも見ません。夕方までの数時間、眠る事もなく、ただぼんやりしていました。
この「猪木の一周忌法要」の為に中国からIGF時代の王彬が来日。四十九日やお別れ会にはコロナ禍の関係で参列出来なかった為、この日、ようやく実現した訳です。
王彬選手は猪木が「中国にプロレスを広めたい」との話から出会った最初で最期の中国人選手です。
そのような意味では猪木DNAを継承している唯一の中国人レスラーです。それだけに王彬自身も特別な思いがあるのでしょう。その王彬と19時に食事をしました。もし彼と食事の約束をしていなければ、多分私はこの日は食事もせず、ただぼんやりと時間を過ごしていたと思います。

「猪木の一周忌法要」翌日から現在のこの時間まで、私は仕事のスケジュールをこなす事で助かっていました。
もしスケジュールが入っていなければ、何も手を付けずぼやっとしたままだったかもしれません。
今「天国の猪木へ」を執筆する事で、初めて「9月12日」を振り返っています。
OSG東京本部まで電車移動している際、今回お世話になった石材会社の社長からお礼のメールが届きました。
「この度はアントニオ猪木墓所工事を承り、ありがとうございます。後世に残る仕事として社員一同心より感謝申し上げます」という内容でした。石材会社の社長との打ち合わせは今年初めから始まりました。その間、3月の「お別れ会」や6月の「追善興行」があり、いろいろあった準備期間でした。この9か月間、本当に長かったような気がしました。

ふと見ると昨日、力道山の奥様である田中敬子さんからLINEを頂いていた事に気づきました。
私は敬子さんだから少し本音のLINEを送りました。参列して頂いた事にお礼をいい、実のところ法要も除幕式も会食の最中も何度も猪木さんと話していた事を敬子さんに伝えました。
「猪木さん、こんなんでいいですか」「猪木さん、こんな感じですみません」と私の心中を敬子さんに伝えました。
敬子さんからLINEが来ました。
「よかったです。皆さん、そして若いレスラーの励みになります」
その内容に目頭が熱くなりました。「若いレスラーの励み」の文章に私自身が励みになりました。

来週20日には映画の完成試写会があります。10月6日より全国で上映です。何とか一人でも多くの方に「アントニオ猪木をさがして」を見て頂く為にも動かなければなりません。
10月1日の命日。
恐らく多くのファンの方が總持寺を訪れ、記念碑やブロンズ像の猪木に会いに来るでしょう。
その時に「記帳」をして頂けるよう、準備もしなければなりません。
更に「アントニオ猪木に国民栄誉賞を受賞させる会」の署名運動もあります。
締切の10月末まで私が、旗を振らなければなりません。
恐らく100年は「アントニオ猪木」のようなプロレスラーは出てこないでしょう。
でも頑張れば映画にもなる。こんなに多くのマスコミが取り上げてくれる。
そう思えるならば、若いレスラーの励みになるかもしれません。
ジャイアント馬場が創業した全日本プロレスは、アントニオ猪木と対極にありました。
その全日本プロレスのレスラー達が「猪木に会いたい」と一周忌法要に参列してくれた事は、正にアントニオ猪木はプロレス・格闘技のカリスマ的存在なのでしょう。
改めて猪木の凄さが分かりました。

12日、全ての行事を終えて總持寺を後にしてからの数時間。
私が何も手を付けず、考える事も出来なかったその数時間に、1つだけ気が付いた事があります。
日頃、私は自分自身の年齢を気にする事などありませんが、この日、自分が76歳と8か月であるという事を考えました。猪木に会った時、文句を言われないようにしておきたいと思いました。
あと、どれだけ猪木のお世話が出来るか分かりませんが、「自分がやらなければ誰がやる」とこの執筆中に改めて思いました。
時計の針は9月14日17時10分を指しています。
次のスケジュールの為に、ここで本日の執筆を終わります。

次回、9月20日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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