第29回  私の役割「猪木寛太が役員就任」

熱闘の第10試合目が終わった21時17分。
その後に参戦した全選手がリングに集まりました。
リングサイドで観戦していた猪木の孫、寛太君と尚登君がオカダ・カズチカ選手に呼ばれてリングに上がりました。
会場にイノキコール!
そして「1・2・3、ダァー!」を寛太君と尚登君が全選手に囲まれてやりました。
そして炎のファイター「イノキがんばれー!」「イノキがんばれー!」が会場に流れました。

プロレスファンならご承知のように、6月9日(金)に新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアの3団体による合同興行『ALL TOGETHER AGAIN 元気があれば何でもできる!』が東京・両国国技館で開催されました。この話は昨年秋に私が、新日本プロレス 菅林会長に「猪木の追悼興行を行なうのか」と質問した時に出た話です。既に『ALL TOGETHER AGAIN』は過去2回開催されているとの事ですが、今回は猪木の追悼興行の意味も込めて「元気があれば何でもできる!」が銘打った開催です。会場や開催日時が具体的に知ったのは3月くらいでした。そこで5月初旬に菅林会長に「会場で猪木の孫である寛太君に〝ダァー!〟で締めくくれないか」と提案しました。

「お別れ会」には寛太君の学校の関係で参列出来なかったので、弟の尚登君がオカダ・カズチカ選手と〝ダァー!〟で締めくくったので、今回は寛太君に登場させたくお願いしました。
彼らは写真や映像でグランパ「アントニオ猪木」の〝ダァー!〟を知っていますが、臨場感のある場所でそれを感じて貰いたい為、前回の「お別れ会」や今回の「合同興行会場」で彼らに登場させたかった訳です。正直、多額なコストはかかりましたが、お金では買えない「体感」を私が元気な間に経験して貰おうと思いました。「お別れ会」は二度とないし、『ALL TOGETHER AGAIN 』の開催は今後あっても『元気があれば何でもできる!』はないかもしれません。

実はそれに合わせて、寛太君に今回来日して貰いたいもう1つの理由がありました。
それは寛太君を株式会社「猪木元気工場」の役員就任の発表をするためです。
既に前日の8日にネットニュースで「寛太君役員就任」が流れました。

実は3月7日の「お別れ会」の以降に猪木の愛娘の寛子さんの代理人を通じて「寛太君と尚登君の役員就任の可能性はあるか」との打診がありました。私はすぐに「喜んで」と回答しました。後日、代理人から「尚登君はまだ14歳にて寛太君だけでお願いします」との事でした。

猪木も天国でまさか「自分のマネージメント会社」に孫が役員になるとは、思っていなかったと思います。今回の事で感想を聞きたいものですが、「そんなのは知らねーよ」と言いながらまんざらでもない顔してくれたなら私自身嬉しい限りです。

猪木が生涯を懸けて創り上げた数々の魂の言葉「猪木語録」を寛太君が次世代まで広げ、そして世界中に「アントニオ猪木語録」を広めて貰うならばこんなに嬉しい事はないです。
過去に有名な映画スターやプロアスリートが亡くなった後は数年後に忘れられる現象は、私自身嫌という程見てきました。不世出のスーパースター「アントニオ猪木」ですら、世の中に発信をし続けない限り、たぶん忘れられると思います。その為にもどのような形であれ「アントニオ猪木」を発信し続けなければなりません。その為にも若い寛太君が猪木元気工場の役員就任となって、勉強して貰いたいと思います。

ちなみに株式会社「猪木元気工場」の新人事は社長に元IGF社長の青木弘充氏が就任し、
猪木の元マネージャーの宇田川強氏が広報担当取締役に就任し、海外担当取締役に寛太君が就任する事になりました。

これで猪木に対する私の役割も一つ一つ片付けていきたいと、改めて猪木の「お別れ会」会場でもあった両国国技館のボックス席で彼らの「ダァー!」を見ながら思いました。

次回、6月15日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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