第28回  第10回映画製作委員会

5月23日16時。第10回映画製作委員会のオンライン会議が開催されました。
ここでは、具体的なお話は残念ながら出来ません。となるとここで書く意味もありませんので、どのような事を議論したのかだけはお話したいと思います。
まず、この映画の「情報解禁スケジュールの最終確認」が行なわれました。
次に「映画タイトル」も検討され情報解禁日に向けて最終的に決定されます。
また既に一部撮影が実施済みである事も報告されました。
出演者の確定等も報告されました。いずれも皆さんに早く報告したい事ですが、残念ながらこの場で私が全容を明らかにする訳にはいきません。
会議では毎回、私は必ず発言します。猪木に対して「これでいいのか」という自問自答です。
時には会議を進行している人を困らせているのではないかと思う時もあります。
映画制作には多くの分野で多くの人々が動きます。
それだけに自分の考えをそのまま受け入れて貰える訳ではありません。
私自身も自費で映画を作った経験上、よく理解はしています。
そのような意味で、この第10回映画製作委員会ではいつもより私の発言数は控えめでした。
それは具体的な話が進んできたからです。
約1時間のオンライン会議を終えて、私は「ここまで来たか」とこの1年間を振り返りました。
ちょうど1年前の今頃、私の猪木とのコミュニケーション手段は電話しかありませんでした。
当時の猪木の取り巻き連中は私と猪木との連絡に神経を尖らせ、時には電話すら出来ない事もありました。
そんな僅かな電話が通じるチャンスに猪木に生きる希望を与える為に言った言葉が「猪木さんの映画を作るから、それを楽しみにして下さい」との投げかけでした。

私は新日本プロレスの菅林会長に「新日本プロレスが創立50周年を迎える記念事業にアントニオ猪木の映画を制作してはどうですか」と提案し、私の構想を話しました。
現在の映画製作委員会で話している内容は、私の構想とは全く違ったものになっています。
しかし映画制作のプロ集団が考える「猪木の映画」です。内容はどうであれ、「猪木の映画」を制作する目的は変わっていない訳です。
ただ当初の思いと大きく違うのは、そこに猪木がいないという事です。

昨年8月29日に菅林会長が「映画の事で」と株式会社アミューズ社の専務と今回の映画製作委員会の責任者である映像企画製作部 部長プロデューサーの筒井竜平氏を紹介してくれました。
この日が「猪木の映画」の第1歩だと言っていいと思います。この席上で私は思いっきり「猪木の映画」について話しました。何としても実現させたい!私が以前、自費で制作した映画(セカイイチオイシイ水)のスケール感とは、比較にすらならない大きな素材のアントニオ猪木の映画です。
株式会社アミューズ社のような大きな企業や猪木の映像を多数保管しているテレビ朝日、そして新日本プロレスの力を借りなければ実現出来ない話です。
「映画の話が進んでいますよ」と私が猪木に話をしたのは、白金台のタワーマンションでの事でした。ベッドに横たわる猪木が、私の目を見て少しうなずいていた事が、まるで昨日の事のようです。

ちなみに映画の第1歩となった8月29日は、OSGの創立記念日です。
今から53年前の1970年8月29日。私は23歳でした。私を含めて5人の若者が5坪の貸室からスタートした日でもありました。私にとって記念すべき日に「猪木の映画」を具体的に第三者に話した事は忘れないでしょう。
「猪木とアリが闘った1976年6月26日は、私の誕生日です」という同席した筒井部長プロデューサーの言葉に、何とも言えない「縁」を感じました。

人生の大きな節目に「猪木の映画」に携われる事に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして大きなスクリーンで「猪木の映画」を早く見たいものです。

次回、6月10日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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