第13回 「ガウンの真相」

「お別れ会」にて多くのファンの皆様に見て頂けるよう猪木のガウンを4着、会場内の展示場に飾る準備をしていました。寛子さんが持参する3着と闘道館からお借りする1着の4着です。

ころが、寛子さんが日本へ帰国する前日の3月4日に「ガウンが私の手元に来ない」(LINEではもっと詳しく書かれてありますが内容は控えます)との事で寛子さんは大変気を遣っていました。 私は「多くのファンの方がお別れ会で待っていますが、ガウンがなければ仕方がありません。笑顔で来て下さい」とLINEをしました。
その結果、第1部では闘道館からお借りした1着をリングの傍に飾り、展示場は別のもので対応しました。
「お別れ会」前夜に「猪木元気工場」高橋社長から、寛子さんのところに届かないガウンの行方が判明したとの事でしたが、時間的問題で「飾れない」ため、その方向で決まりました。
ところが第1部が終わってから「3着のガウンが来た」と告げられ、その内容に私達関係者は驚きと同時に「第1部の方にお見せ出来なかった」という失望感だけが残りました。

「猪木のガウン」においては何度も「天国の猪木へ」で書いています。
それだけに「ガウンが来た」事の経緯を知った時、私をはじめ多くの関係者は唖然としました。
その行為に不誠実さ以外、何もありません。事前に寛子さんの手元に渡さなかった人にどのような「思惑」があるのでしょう。
そこで「猪木のガウン」に対して事実のみを時系列で掲載し、後は読まれた方の判断にお任せするしかありません。
これまでに「猪木のガウン」に関して掲載した部分の掲載回も記載しておきます。

1.「ガウンはない」(第2回:1月20日掲載)
元猪木マネージャーの宇田川氏がお通夜に「猪木会長のご遺体にガウンを掛けてあげたい」との思いから、お通夜に参列した前猪木のマネジメント会社の関係者にガウンの確認をしたところ「ない」との返事でした。
2.「ガウンはある。取りに来るように」(第2回:1月20日掲載)
ロスに戻る直前の寛子さんへ前マネジメント会社から「千葉の倉庫にガウンが1着あるので取りに来てほしい」と連絡が入り、彼女は指定された日が日本出国後であった為、あるプロレスラーに「千葉倉庫に引き取りにいく」事を依頼する。
3.「取りに行った。ガウンは3着ある」(第2回:1月20日掲載)
依頼されたプロレスラーが「千葉倉庫」にて「猪木のガウン」を受けとる事になる。
1着でなく3着のガウンがあった。
3着のガウンが写された写真が寛子さんに送られ、私も寛子さんからのLINEで「3着のガウン」を確認。
4.寛子さんから「お別れ会」に飾るガウンは持参する
私がロスでガウンの話をした時、寛子さんは「預けたプロレスラーは多分、私以外に渡さないのでお別れ会で帰国した際に受け取り、前日には必ず両国国技館に持って行く」との事。
5.「ガウンは私の手元に来ない」
寛子さんから帰国前日に「ガウンが私の手元に来ない」とLINEが入り、関係者に報告。
一連の経過に「何の為にそのような悲しい事をするのか。猪木会長のお別れ会にどのような事情であれ誠意のない行為だ」と、関係者はあきれるというより悲壮感が漂った。

葬儀告別式の時、棺の上に「猪木のガウン」が掛かっている写真は永遠にありません。
「お別れ会」に「猪木のガウン」が展示場に飾られている写真も永遠にありません。

私は「猪木のガウン」をしっかりと寛子さんが管理して貰う事を希望し、寛子さんも3着のガウンをロスに持って帰りました。

新日本プロレス提供の「猪木のお別れ会」の映像です。(視聴期限あり)
外部リンク:https://njpwworld.com/p/s_a318_1_1

次回、3月25日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

【追記】
3月15日の昼過ぎに菅林新日本プロレス会長からメールが入りました。
「昨日発売の週刊プロレス、お別れの会の写真が素晴らしいです」。
私は早速コンビニに買いに行きましたがどこにもありません。
4店目の店長に「週刊プロレス」誌はないか?と尋ねましたが、アジア系の店長は「車の雑誌か。わからない。いつ発売か」と聞かれて初めて菅林会長らが発売前日に入手していた事を知り、翌日の16日木曜日を待ちました。
2235号「週刊プロレス」表紙の「お別れ会」はもちろん、誌内の4ページに「お別れ会」が掲載されていました。そのあとに掲載されていたオカダ・カズチカ選手の2ページも良かったです。

菅林会長推薦の内容でした。
私にとって「保存版」です。

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