第11回 「猪木のお別れ会」

2023年3月7日快晴。
「猪木のお別れ会」開催の朝を迎えました。
喪服姿の私は浅草橋駅から会場の両国国技館に向かいました。両国橋を渡って徒歩約15分。
7時30分過ぎに会場到着。受付時間は9時30分からです。
昨夜は21時までお別れ会準備に立ち会っていました。私自身が何かをする訳でもなく、約100人の作業スタッフの皆さんが祭壇やリングの設営、忙しく椅子を並べている光景等をじっと見つめているだけでした。

昨年10月1日に死去したアントニオ猪木の慌ただしい葬儀告別式の準備の中で「ファンの皆さんにはお別れ会で対応する」と発してから、この日で158日目を迎えました。
5ヵ月と1週間。この期間が長かったのか短かったのかは別として、無我夢中の時間の流れでした。
お別れ会の会場がなかなか決まらず、気持ちに焦りがありました。11月24日に「四十九日法要」が営まれた總持寺で「猪木のお別れ会」の日時と場所が発表されてから100日少しの準備期間でした。その間「INOKI BOM-BA-YE」があり「イッテンヨン」があり、バタバタとした準備期間であったなと、浅草橋駅から会場までの間に考えながら歩いていました。

「猪木のお別れ会」開始時間の11時。
会場は暗転し、祭壇の両サイドのスクリーンには真っ赤な文字で「闘魂」と映し出されました。
客席から掛けられる「イノキ!」「イノキ!」の声が、胸にジンと来ました。
今日1日、涙は流さずにこのお別れ会を終えると決めて挑みましたので、堪えました。

ファンの皆さんは、この日で猪木との1つの区切りをつけたのではないでしょうか。
私は間違いなく、猪木との大きな区切りをこの日につけました。極端な話「この日の為に生きてきた」そんな気持ちです。
ファンの皆さんは、猪木が亡くなったからこそより猪木を身近な存在にあるのではないでしょうか。私の場合はそうです。亡くなったからこそ、常に私のそばに「猪木」がいます。

「お別れ会」から一夜明けました。時計は6時過ぎです。

今回の「天国の猪木へ」はここまでで終わりたいと思います。
文章が進みません。会場で我慢していた涙が今の私にはその1滴すらも流す涙がありません。

疲れてはいませんが、休みたい気持ちはあります。
昨日の事を思い出そうという気持ちと、それを拒否する気持ちが私の中にあります。
やり遂げたという気持ちは、私の心の中に全くありません。充実感もありません。

ただただ猪木のファンの皆さんに葬儀告別式の参列の機会を作らなかった事への申し訳なさにファンの皆さんへの責任を果たしたと言う気持ちと、猪木に対しての大きな節目、大きな山場を越えたと言う責任感だけです。

少し落ち着いたら「お別れ会」についてお知らせします。

次回、3月15日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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