
 
          「猪木のお別れ会」があと2日となりました。事故のない事を祈ります。
			この「猪木のお別れ会」の準備・運営事務局としての大きな課題は2つあります。
			1つ目は、約1000人規模のご招待者の皆様へ「案内状」を発送する業務です。
			2つ目は、「受付」を含むお別れ会当日の運営です。これは当日を迎えなければ何とも言えない事ですが「準備は成功をもたらす」の言葉通り、怠りなく準備を整えなければなりません。前日に行うリハーサルは、「受付」から始まります。
			この1か月間、私を悩ましくさせているのはご招待者への連絡です。何度もここで書きましたが、限られた資料や情報だけを頼りに順次ご連絡しています。猪木との深い関係がある方がもっと多くおられるのではないか。そう思いながらも肝心の情報がありません。それだけに連絡が届かない方々がおられる事に対し、心から申し訳なく思います。得られた小さな情報を辿り、連絡させて頂くと「連絡を待っていました」「よく連絡をしてくれました」というお礼の言葉を頂く事もあり、実はもっと私達の連絡を待っている方が多くいるのではないかと思うと、本当に悩ましい限りです。
			生前の猪木の人脈は幅広く、その数は計り知れません。世界に目を向ければ、猶更です。
			招待者数約1000人という枠の中で全てを網羅する事は不可能であり、その事を自分に言い聞かせながら、期限ギリギリまで連絡を取り続けている状況です。
			お別れ会には、現役プロレスラーもたくさん参列してくれます。主催の新日本プロレスをはじめ、全日本・NOAH・ZERO1・大日本・DRAGONGATE・大阪プロレス・GLEAT等、各団体の所属選手やフリーの選手の皆さん方が参列します。選手の中には現役の猪木の試合を実際に見た事のない人もいるでしょう。若い選手にとってはもはや猪木は「伝説の人」です。彼らは「アントニオ猪木のお別れ会」に参列した事をおそらく生涯の強烈な「目撃者」として話をするでしょう。
		
			尚、招待者への案内状の発送が遅くなっており、大変多くの方にご迷惑をかけています。
			3月2日の昼過ぎにシュートボクシングの創始者シーザー武志会長から私に「まだ届いていない」と連絡がありました。この日だけでもそのような問い合わせが数件あり、数少ない事務局メンバーの混乱ぶりがわかります。事務局の責任者として全ての責任はこの私にあります。
		
			さて、3月1日13時、新日本プロレス会議室で「お別れ会」の最終打合わせがありました。
			打合わせ参加者はこれまでの最多人数で、ご遺族代表として実弟の啓介さんにも参加頂きました。
			会議室のテーブルには「『アントニオ猪木 お別れの会』実施運営マニュアル」をはじめとした各種資料が、従来にない数多く置かれていました。
			この日の議題は、
			① 当日のスケジュールについての最終確認
			② 会場図面についての最終確認
			③ 運営についての最終確認
			④ 進行についての最終確認
			等です。
			内容はここでは控えますが、いよいよ最後の打合わせだなという気持ちになりました。
			それぞれの役割分担の方々からの説明があり、あっという間に4時間が過ぎました。
			私はどうしても大阪での約束があり、18時までに新幹線に乗らなくてはなりません。
			その為、一旦区切りをつけて、後は分科会的な打合わせになりました。それぞれの担当者の皆さんには本当にこの期間頑張って頂き、感謝申し上げる以外ありません。
		
			この最終打合わせで出来なかった部分を改めて3月3日午後にオンライン会議で確認しました。
			主催者の新日本プロレスと猪木元気工場のスタッフの皆さんだけでの会議で、私も参加しました。会議では主に「約1000人の招待者を如何に短時間で受付し、ご案内するか」という点に重点をおいて議論しました。
	   
			話は最終打合わせ会議に戻ります。
			私が退席する前に菅林会長が次の用件がある為に退席されました。菅林会長と打合わせをする機会を失いました。話は「収支問題」について現時点での状況を確認したかった訳です。
			最終的に終わってみなければわからない問題ですが、以前の打合わせ会議で明確にしたのは収支問題です。プラスになった場合は猪木家の新しい「墓石建立」の一部費用に充てる事になっていました。逆に収支がマイナスになった場合は主催者折半にて負担する事を事前に決めていました。
			会場費や祭壇の設備及び警備・音響等の支出の部分は事前にわかりますが、収入の部分はやってみなければわかりません。
			私としては結果的には収支が最終的にマイナスになってもいいと正直思っています。
			私達は本来すべき仕事がありながら、その合間を縫って文字通り手弁当でお別れ会の準備期間に働いてきました。新日本プロレスさんには大変お世話になり、多くのスタッフの方がこのお別れ会の準備及び運営に働いて頂いています。そのような中で私の意見は異論かもしれませんが、最終的に収支が多少のマイナスになっていいのではないかと思います。
			その負担分こそがアントニオ猪木の供養だと思えばいい訳です。
		
			私は新日本プロレス本社の最寄り駅から品川駅に向かって移動しました。車中で本日の最終会議について振り返っていました。また車中でひとり猪木と話をしていました。
			子供じみた話かもしれませんが、私は猪木が亡くなってから1日数回、猪木と話をします。
			時には数分程度、ある時には10分程話をします。
			内容は「猪木さん、こんな感じでいいですか」や「猪木さんならどうしますか」等の確認事項です。そして「猪木さん、当日は雨天にならないようにお願いします。天国の猪木さんなら出来るでしょう」や「猪木さん、うまくいくように力を貸して下さい」等のお願い事です。
			この日は確認事項とお願い事でかなりの時間を費やして猪木と話をしていました。
		
			「アントニオ猪木お別れの会」いよいよあと2日となりました。
			この日、寛子さん親子がロスから東京に到着する予定です。
		
			次回、3月15日に掲載予定です。
		  (「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
		
			【後記】
			3月1日18時台に弊社のホームページに猪木塾生の方からメールを頂いたと翌日報告を受けました。この時間帯は、ちょうど私は新幹線の中でした。ふと私の脳裏をよぎったのが「猪木塾」と「選挙運動の人達」の事でした。「そういえば猪木塾があったな」と思っていたので、「猪木塾生の方からメールを頂いた」と報告を受けた時、少し鳥肌が立ちました。
		
『私は、●●に住んでる、猪木塾生です。猪木会長は、私もに本当に優しくしてくださいました😍本当は、直接猪木会長お別れ参加したかたです😥喘息もあり😥ネットで献花にしました🥲今でも猪木会長のことが大好きです😍イベント会うたび元気、勇気をいっぱい貰ってました、これからも会長の思いでを忘れません。猪木会長には、パラオ、ニューヨークも一緒行きました😍』
『お返事ありがとございます😊猪木塾生パラオ、ニューヨークのときの写真です😍猪木会長には、顔は覚えて貰ってました😍猪木会長と思いでのお写真です😍北九州、福岡でパチンコ、競艇他のイベントあるときは必ず会いに行ってました。ビンタも5回頂いてます。引退試合も観に行ってます。猪木会長大好きです😍』
			猪木塾生の●●さん、メールありがとうございます。ネットでの献花もありがとうございます。
			猪木は多くの方にこんなにも多くの夢を与えているのだなと、改めて思いました。
			●●さんと猪木のツーショット写真を見て、目頭が熱くなってきました。
			「猪木会長大好きです」のメッセージを見てもう少しで涙が出そうになり踏ん張っています。
			今日、この事を猪木にしっかりと伝えておきます。
		
そして全国の猪木塾に参加された皆さん、選挙運動の際に頑張って頂いたスタッフの皆さんの思いを抱きながらお別れ会に挑みたいと思います。
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