第8回 「第1部は早くも満席か」

プロレスリング・ノアの招待で4日前の2月21日「武藤敬司 引退試合」を観戦しました。
25年前の1998年4月4日に行われた「アントニオ猪木の引退試合」もここ東京ドームで観戦した記憶が蘇ってきました。
平日ながら「武藤選手引退」の東京ドームは熱気に包まれ、メインステージも豪華でした。
会場の大型スクリーンを見ながら「本来なら猪木さんのビデオメッセージが映し出される筈だった。恐らく会場は更にヒートアップしただろうな」と思いながら観戦していました。
私自身「お別れ会」準備の超多忙な中での「忙中閑あり」の一時でした。

翌22日も相変わらず「お別れ会」の準備に没頭していました。その日の午後、嬉しいニュースが飛び込んできました。菅林会長からの電話で、「お別れ会」第1部のチケット状況の報告でした。

両国国技館で行われる3月7日の「お別れ会」は「追悼式典」と「献花式」の2部制です。
第1部の「追悼式典」は会場の混乱を避けるためチケット制で、座席指定券や献花用の花、返礼品(マフラータオル・メッセージカード)付きの有料です。
この第1部のチケットは2月10日より発売され、僅か数日でかなりの申し込みがありました。
私はこの動きが凄いのかどうか分からないので、新日本プロレスの菅林会長に尋ねたところ「この様な〝お別れ会〟のチケットは私も初めなのでわからない」との事で、そりゃそうだと思いました。
「多分、早い段階で〝完売〟になると思います」と菅林会長は言いましたが、「平日の為ファンの方達も仕事があるだろうし本当に来て頂けるだろうか」との不安が正直、私の心の奥底にありました。

そんな中で菅林会長からの「第1部チケット残り数枚です」という電話は、私の心の奥底にあった不安をかき消してくれました。発売から2週間足らずです。
「よっしゃ!」と右こぶしを握りしめ、「猪木さん、天国からの応援ありがとうございました!」と窓越しにこの日の東京の青い空に向かって伝えました。
すぐさま準備事務局の宇田川さんにも「嬉しいニュースです」と電話をしました。
一瞬でも「平日なので大丈夫かなぁ」と思った自分を恥じます。本当に「天国の猪木」から叱られそうです。
「猪木さん叱って下さい。今すぐ電話をかけて下さい。それともこちらから電話をします」

菅林会長からの電話で急に身体が軽く感じ、まずはほっとしました。
翌23日に改めて菅林会長から「2階席を少しでも増席出来る様に工夫します」とメールが届き、少しでも多くのファンの方々に応えたい気持ちもあり、更にほっとしました。
ちなみに第1部のチケットが「完売」になった場合でもファンの方々には第2部の「献花式」を準備しています。第2部は以前にもお知らせしました様に「追悼式典」会場が開放されます。
万一チケット購入出来なかったファンの皆さんも、両国国技館内に祀られている猪木の祭壇でのお別れが可能ですので、チケット購入出来なかった方も是非とも来場下さい。
また受付は17時終了ですが、17時以降も両国国技館敷地内に「献花台」が設置され、21時まで献花可能です。

次回、3月1日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

【後記】
「人生はプラス思考で歩きましょう!」を読まれた方から年賀状が届きました。
白河市のMさんからです。
『貴ブログ、第530回、白銀台に移られた猪木さんの手を握られ、湯川さんが「新日本に帰りましょう」とおっしゃった。拝読し、涙が出ました。是非、ご本になさって下さい』
年賀状を頂き、大変恐縮しました。当時の「人プラ」の猪木に関する内容を読み、このように感想文を頂けることが他にもあります。これは私の文章より、まずは猪木ファンの皆さんだからです。
とはいえ、大変恐縮しています。元々「人プラ」はOSG社員さんに向けて書かれたものです。

さて、「第6回」で掲載した「猪木とブルース・リーとのツーショット」に関して
「天国の猪木へ」を読まれたOさんという方からも最近メールを頂きました。
『初めまして。私は50年以上も猪木信者のOと申します。
「お別れの会」の第一部を発売日の発売開始に即購入いたしました。(略)
そこで一つ教えていただきたいことがあります。
「寛太君がスマホの写真を見せてくれました。それは猪木の昔の写真です。ブルース・リーとの写真。ジャッキー・チェンとの写真。F1レーサーのセナ選手とのツーショット。」
との文章がありましたが、猪木さんとブルース・リーのツーショット、猪木さんとジャッキー・チェンのツーショット、猪木さんとセナ選手とのツーショット写真が存在するということでしょうか?特に猪木さんとブルース・リーの接点があるとしたら凄いことです。
だいぶ昔になりますが、週刊ファイトにおいて「新日本プロレスの旗揚げの際、当時日本では無名ながらアメリカやアジアで大人気だったブルース・リーを招いて、猪木さんに花束贈呈をしてもらおうという計画があったが、実現しなかった」という記事を読んだことがあります。
新日本プロレスの旗揚げ試合は1974年3月6日、ブルース・リーの死去は1973年7月20日、
しかも急死だったので、可能性としてはない話ではないと考えています。もし猪木さんとブルース・リーのツーショット写真があるならば猪木信者やブルース・リーのファンだけでなく、大きなニュースになるのではないかと考えています。もしお二人のツーショット写真があるなら、公開していただくことは可能でしょうか?』との内容でした。

O様へ
『「天国の猪木へ」を読んで頂き恐縮致します。
さて写真はあります。私自身にもその「写真」は転送してもらい手元にあります。ただ「写真」の公開はご遺族の方のご判断です。宜しくお願いします』と返信しました。

O様から
『お忙しい中、早速のお返事をありがとうございました。
猪木会長とブルース・リーのツーショット写真があるのには驚きました。「お別れの会」がしめやかに、そして猪木会長が天国で喜ばれるような会になることを心よりお祈り申し上げます。』

大変ありがとうございます。
このような声を支えに3月7日の「お別れ会」を無事にやり遂げたいと思います。

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