第3回 『「従四位」「旭日中綬章」授与』

『天国の猪木さん!「従四位」「旭日中綬章」授与の連絡が来ました。授与式の日は1月23日です。そうです。1・2・3、ダァー!の1月23日です。天国の猪木さん、聞こえますか。』
「いらねぇ~よ。それより生前に希望していた義務教育を終了した修了証書の方が大事だ。それと80歳に20本以上の歯があれば表彰される「8020(ハチマルニイマル)運動」の方がいいな」なんていわないでしょうね。私は素直に嬉しいです。政府が政治家アントニオ猪木を評価してくれた事に私は無条件に嬉しいです。

1月16日10時過ぎ、私の携帯電話に猪木元気工場の髙橋社長から『アントニオ猪木さん、日本レスラー初「従四位」「旭日中綬章」授与伝達の1.23に特別な意味(東スポWEB、YAHOOニュース)』とYAHOOニュースの叙勲授与の記事が添付されたメールが入りました。
実は昨年11月に「従四位(じゅうしい)」の「旭日中綬章( きょくじつちゅうじゅしょう)」の叙位・叙勲の授与が閣議決定され、授与伝達の連絡が入っていました。政府関係者からは年内に授与伝達したいとの事でしたが、猪木元気工場の髙橋社長が年末年始の猪木イベントもあり慌ただしい中での授与より、もし可能であれば年明けで「1・2・3、ダァー!」の1月23日でお願いしたいと申し入れしていました。髙橋社長のなかなかの提案です。
とはいえ、政府の事ですのでそのような計らいをして貰えるのか、少し心配でした。それだけに「授与伝達の1.23」を聞いた時はホッとしました。政府の粋な計らいに感謝します。

生前の猪木のプロレスラーとしての活躍の他、政治家としても評価をされ、特に「旭日中綬章」は社会の様々な分野で顕著な功績をあげた人を表彰する勲章が「旭日章」との事です。「中綬章」は勲三等に相当されるとの事です。勿論、プロレスラーとしては初の快挙と評価されています。ただネットではやはり生前に与えてほしかったとの声が多数あることも事実です。授与の報告をもし猪木が生前に知ったならどんなコメントを述べるのか、知りたいものです。

11月24日「四十九日法要」が営まれた翌日、ロスにいる寛子さんに「四十九日法要」が無事に終わった事をLINEで報告しました。
その前に寛子さんから「ガウン」の写真入りメールが送られてきました。
最初「ガウンは、ない」との事でしたが、次に「千葉の倉庫に取りに来い」と言われた時は「ガウンは1着」との話でした。ところが受け取りに行ったガウンの写真は「3着」映っていました。
どうした事でしょうか。何があったのでしょうか。不可解でなりません。

さて、私はすぐにロスの寛子さんに連絡をしました。授賞伝達には元々、実弟の啓介さんが参加する事になっていましたが、寛子さんの希望で長男寛太君が急遽日本に来るようになりました。
寛太君は1月21日夕刻に成田に到着しました。元猪木のマネージャーの宇田川さんが迎えにいてくれました。当日3人で食事をしました。宇田川さんは「いつも猪木会長を成田まで送り迎えしていた事を思い出しました。いつも会長が座っている後部座席に寛太君が座っていました。懐かしい気持ちになりました」に私も神妙な気持ちで聞き入りました。食事中の話題はやはり明日の授与伝達の後の記者会見です。寛太君にしてみれば記者会見デビューになります。多少の日本語が出来ますので安心です。「猪木さんの事をじいちゃんと呼んでいるが、スーパースターアントニオ猪木の孫だけが呼ぶじいちゃんだけど、ここのところは英語でグランパと言おうか」等、明日の記者会見を控えての会話が食事中の話題でした。宇田川さんから「ガウン」についても話が出ました。

翌日、授与伝達式に着ていくスーツは私がプレゼントする事になっていましたので、猪木の実弟の啓介さんと3人で買いに行きました。店員さんがスーツに合った紺色のネクタイを選んでくれましたが、私は「やはり赤いネクタイでしょう」という事で、赤系のネクタイを選んでくれました。
翌日1月23日は、私自身どうしても大阪で動かせない仕事があり、その晴れの場所には同席出来ませんでしたが、髙橋社長の話によると、マスコミは予定以上に参加してくれました。参議院議員会館地下1階の一室を借りて記者会見会場には約40人が参加。テレビカメラ等も5社程入り、この日はテレビ朝日が代表取材をしたとの事です。記者会見は15時30分から開始され、その後いわゆる囲み取材には予想通り寛太君に集中しました。20歳の寛太君は分からないところはやはり英語で受け答えしますが、その時の通訳は元IGF広報の井野さんが対応してくれました。また宇田川さんはこのような会見には心得ており、「アントニオ猪木」の等身大写真パネルを準備して、マスコミ側が撮りたいシーンを心得ていました。
全ての準備は元IGFのメンバー達です。頼もしい限りです。猪木さん、見てますか。

私はその時間、大阪で会議をしていましたが既に17時頃にはネットニュースでアップされていました。その写真を見て私は寛太君の赤いネクタイが映えて映っているので、「よっしゃー!」と思いました。しかし実はそのネクタイは私が買ったネクタイではなく髙橋社長が、猪木が使っていたネクタイに変えたとの事で髙橋社長はさすがだと思いました。やはり洋服店で買ったネクタイよりも猪木のネクタイの方が数段映えます。またネットニュースで啓介さんのコメントも掲載されていました。非常に感動的なコメントでした。その後、次々とネットニュースでアップされました。またテレビ朝日・フジテレビ・TBS・日本テレビ等各社がニュース番組で取り上げてくれました。共同通信社からもニュースが配信されています。このようにスポーツ紙だけでなく、一般のメディアにも取り上げられました。勿論「東スポ」は大々的に取り上げてくれています。感謝します。

学生である寛太君は1日の休学届をしている為に、23日深夜に慌ただしくロスに戻りました。勿論、腕の中には政府から頂いた「従四位」「旭日中綬章」の賞状とメダルをしっかりと抱いて帰っているものだと思いました。ところが賞状等、額縁に入れた方がいいという事で、持って帰っていない事が分かりました。もし私が東京にいたなら「額縁など後から準備すればいい。やはり1日でも早くロスに祀ってある猪木グランパの位牌と遺影に見せなさい」と言ったと思います。
案の定、寛子さんから「是非、見たい」とのLINEが入りました。
「すぐに持参します」と返信しました。

孫の寛太君が多くのメディアに囲まれて記者会見をしています。そうです。猪木さんの孫の寛太君です。カッコよく映っていますよ。天国の猪木さん。どんな気持ちで見ているのでしょうか。
猪木さん、喜んでくれていますか。「8020運動」表彰も凄いですが、「従四位」「旭日中綬章」は凄いです。そして猪木さん、次は何と言っても猪木さんには「国民栄誉賞」が一番似合います。
私は動きます。

次回、2月5日「お別れ会の準備」を掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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