代表取締役 湯川 剛

今回も前回に引き続き、中長期計画「第9次4ヶ年計画」についてお話しします。
「4年後といえば、ちょうど創立50周年を迎えます。大きな節目を迎える中長期計画です。」と前回の冒頭にも記載しました。この時の私は「これからの4年間」は当然の事、加えて2020年の創立50周年を見据えていました。

「創立50周年」は50年を迎えたかというゴールの気持ちよりも、その後の50年、つまり「創立100周年」へのスタートとして「OSGはどうあるべきか」その事で頭がいっぱいでした。
100周年に私は立ち会えないですが、100周年への土台作りには立ち会う事が出来ます。
「第9次4ヶ年計画」は社内的な発表とは別に、経営者として私個人がしっかりと抱いて行かないといけない事です。これに似た事は過去にも何度かありました。

OSGが一番最初に立案した中長期計画「第1次7ヶ年計画」がそうでした。(第36~38回掲載)
「7年後に自社ビルを建てるぞ」と発表した時に似ています。宣言後1週間程度は社員さん達も意識してくれていたと思います。しかし恐らくその意識は3日も持たなかった事でしょう。
私は7年間、毎日思い続けていました。勿論、関心のない社員さんには何の責任もありません。
1年・2年・3年と年数を重ねていく内にだんだん具体的になり、具体的になるという事は、だんだん実現不可能な状況になるという事です。そうなると宣言した私までも認識が薄れてくるものです。社員さんは3日で忘れて、私は3年で忘れたとあれば、結果的には同じです。
「7年後に自社ビルを建てるぞ」という目標を、7年も経たず諦めてしまうという事です。出来なかったことが失敗ではなく、諦めてしまう事が失敗なのです。だから私は「諦める」事はありません。

同じように「第4次10ヶ年計画」の時もそうでした。(第122回掲載)
第3次中長期計画が目標未達になった時に、私は「第4次10ヶ年計画は上場するぞ」と発表しました。10年という歳月はかなり長いです。当時の私の年齢で考えると40代前半から50代前半にかけての10年間です。40代前半に「上場するぞ」と宣言した時の気力や体力を10年後まで維持出来るかという事です。
もしも「5ヶ年計画」だったとしたら・・・。それでも実現出来たかもしれませんが、直面するOSGの状況を考えるとやはり「10年間」の歳月が必要だと判断しました。問題は10年間思い続ける私の問題です。幹部及び社員さんには何の問題もありません。トップさえ忘れなければいいのです。
「第1次7ヶ年計画」も「第4次10ヶ年計画」も計画より1年遅れで実現しましたが、その間の弊害は全て「諦めろ!」という私の心の中の叫びです。

今回の「第9次4ヶ年計画」は7年間や10年間からみれば、期間的に容易い事です。この4年間をやり遂げた後に迎える2020年の「創立50周年」を見据えて2016年2月1日から新中長期計画がスタートしました。

「創立50周年」までの4年間に準備しなければならない事が多々あります。
その一つが市場です。前回にも掲載しましたが「日本に依存しすぎてもダメだ」や「OSGは世界市場を目指す」と言いました。
創立40周年のテーマが「中国からアジア、そして世界へ」でした。
そのような意味では、10年後の創立50周年には「ASEAN市場」がテーマになります。
またどうしてもクリアしなければいけないのが「売上100億円」です。
私達OSGが取り扱っている製品は、基幹産業でもなければ衣食住への日常生活用品でもありません。どちらかと言えば常に開発型営業によって成り立っています。それだけに売上100憶円の壁があります。創立50周年までの4年間で「100憶企業」を仕上げなければなりません。
また、創立50周年記念式典の準備もあります。40周年までの周年式典は創業の地大阪で開催していましたが、50周年は会場を大阪から東京に移す予定です。海外のお客様を含め、2500名規模を計画しています。更に2020年はオリンピックイヤーです。大きな節目を迎える為にも、この「第9次4ヶ年計画」を仕上げなくてはなりません。課題の多い4年間です。

毎年恒例の冬合宿が「第9次4ヶ年計画」の始まりです。
この年の冬合宿のゲストに杉浦貴之氏を迎えました。杉浦貴之氏の事を覚えているでしょうか。
そうです。「OSG文化遺産」の一つ、ホノルルマラソンとの出会いです。
第470回(6月1日掲載)でがん患者の人達とマラソンに参加しているという話はしたと思いますが、彼をゲストに迎えました。

(次回に続く)

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