2025年3月3日。
この日、私は2つの課題に向かって具体的に動いた、忘れられない日です。
JR大森駅でD&Dの鈴木社長兼会長(以下、社長)と合流し、秦野工場に向かいました。用賀から首都高を使い、2時間程掛かりました。既に工場では、工務店・電気工事・設備関係者が待機していました。私は「外部から見学に来てもよい食品工場を完成させてほしい」と伝えました。秦野工場は4階建て。1階・2階が生産ライン、3階・4階が事務所や社員食堂、さらに浴室付きの更衣室となっています。現在の大森工場と比べると、生産環境としては非常にいい施設でした。D&D社長の話では、6月末までに完成予定との事でしたので、工事責任は鈴木社長に全面委任しました。
鈴木社長が運転する帰りの車中での出来事です。鈴木社長から、OSGから派遣させているO管理職社員に「いずれ社長を任せたい」という話が出ました。以前、鈴木社長から「OSGから社長になる人材を派遣してほしい」との要望があり、社長候補の社員を派遣させました。それをきっかけに鈴木社長は会長職に就きました。しかし数か月後、「あの男には社長は無理だ」という事で解任されました。その時から鈴木会長は社長を兼任。今度は「O部長に社長になってもらう」との事です。本来、人事権はOSG側にありますが、私は鈴木社長の考えを尊重し、それに沿うようにしていました。
私は車中で、「役員とは何か」と「組織とは何か」について話しました。これはOSGから派遣されているO部長に向けた話でしたが、同時に運転している鈴木社長にも知っておいてもらいたい、と思っていました。鈴木社長は長年、中小企業の社長として自分中心の経営をしてきました。私も経験がありますが、「朝令暮改」や「組織無視」でやって来られている事が、今一つ会社の成長を止めているところがあります。来年5月で20周年を迎えるD&Dが、今なお組織として不安定なのは、トップである社長の「役員とは何か」「組織とは何か」という認識不足を否定する事はできません。この日の出来事は忘れません。
同じ日の16時、私は銀座本店での会議に臨みました。「銀座に志かわ・築地店」のリニューアルオープンについての会議です。会議では、3月25日にメディア発表会、26日に身内内覧会、28日にソフトオープン、31日にグランドオープンという日程が決まりました。実は、私は3月24日から3月30日まで、上海・台北への出張につき不在となります。そこで、メディア発表会からグランドオープンまで前倒しできないかを検討しましたが、日程的に不可能となり、やむを得ず、私にとって初挑戦となるカフェ経営は、グランドオープンの立ち会いのみとなりました。この日の事も忘れません。なにせ、カフェ経営への挑戦が具体的に決まった日だからです。
翌日、銀座仁志川の役員会がありました。席上、銀座仁志川と食パン専門店業界の今日までの流れを説明しました。私は時々、このように「私たちの現在地」を説明する事があります。目先の状況だけで判断してはいけないからです。歩んできた道を振り返る事で、次の打つ手を間違わないようにするためです。私は2018年から食パン専門店業界に参入したが、2025年までの7年間を第1ステージ「数の時代」だった、と説明しました。
この期間は出店数にこだわった経営でした。その最たる事例が「3年で100店」を出店する、という目標を当時掲げました。実際には「2年4か月で100店達成」となり、その後140店まで拡大しました。少なからず、この「出店数」のスピード感が「銀座に志かわ」のブランドを構築したと思っています。一方で、食パン専門店業界のレッドオーシャン化を招き、淘汰の時代へと入りました。一時はOSGグループの成長エンジンと呼ばれた「銀座に志かわ」が、今やOSGグループの足を引っ張っている存在になっています。ここで、この状況から脱却しなければなりません。
ここからは第2ステージ「質の時代」へと移行します。テイクアウト中心の「銀座に志かわ」に、プラスアルファを加える必要があります。それが、カフェ併用店舗への転換です。一口で「コーヒー市場」への参入と言いますが、簡単なものではありません。「質の時代」に入り、食パン専門店の特徴を活かしていく事を役員会で説明しました。
そんな折、私の身体に少し変化が起きました。
3月3日の秦野工場と「銀座に志かわ・築地店」のリニューアルオープンの打ち合わせを終えた翌日、即ち銀座仁志川役員会当日の朝の出来事です。私は銀座本店まで、片道7キロ1万歩のウォーキング通勤をしています。この日も同じように出勤をしました。ところが、いつものように歩いている感じがしません。頭と足の感覚が合わず、浮いているような感覚です。数百メートル歩くと、左側に寄る感じがしました。少しおかしいな、と思い立ち止まりましたが、この感覚がどこまでいくのか試してみようと歩き続けました。1キロ程過ぎると、従来に近い感じに戻りましたが完璧ではありません。こうして、銀座本店までたどり着きました。幸い、毎月通っているクリニックの診察が数日後にありました。主治医からは耳鼻科の受診を勧められました。その後、眼科の検査も勧められましたが、いずれも「異常なし」との事です。
次に、脳外科の検査をしたところ、血管が1本薄く映っているが、特に「異常あり」ではないとの事でした。それ以降、時々そのような浮いた感覚が現れますが、原因ははっきりしません。現在の医学的には、このような症状は「ストレス」で結論付けられます。「私にストレス?」と思いました。実は、私自身「ストレスに無縁な男」だと思っていました。「人生はプラス思考で歩きましょう!」の掲載でも、「夜考えていると朝になった」という場面が何度も出てきますが、これは心配で寝られなくて朝を迎えた、という意味ではありません。「あれもしなければならない」「これもしなければならない」と考えているうちに朝を迎えた、というのがほとんどです。いずれにしても、大きな転換期を迎え、知らず知らずのうちに私にもストレスがあるらしいです。
私は現在、「余命10年宣言」をしている身です。
2025年3月。この時点から5か月後の2025年8月29日に「余命10年宣言」をするわけですが、当然の事ながらこの時の私はまだ分かっていません。
ちょうど1年前の話になります。
次回、3月29日に掲載します。
ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp