今回から、実質的に「人生はプラス思考で歩きましょう!余命10年宣言編」(略:人プラ余命10年)がスタートします。前回までの2回は、何故「人プラ余命10年」を掲載するのか、その背景等を説明しました。よって、今回が実質的な初回となりますが、実は少し頭を抱えているところです。
「人プラ余命10年」を掲載するにあたり、2つの事で悩んでいます。
と言うのは、日々の業務が大変忙しく、原稿作成の時間を確保する事が非常に厳しいです。海外出張等もあり、月3回の「人プラ」さえ作成時間の確保が厳しいわけです。そこに「天国の猪木へ」も掲載しなくてはなりません。不定期掲載とはいえ、実際ここ数回はよほどの大きな事が起こらない限り、「天国の猪木へ」も掲載していません。
もう1つ、「人プラ余命10年」では記載しづらい事情があります。それは、「人プラ」のように5年前の出来事を書く場合はあまり差し障りがないですが、2025年の出来事を書く「人プラ余命10年」では、どうしても「話せない内容」が含まれてしまいます。そのため、「この内容は少し控えさせてもらいます」といった表現を多用する可能性があり、リアルに言えない文章が多くなる懸念があります。
そんな「時間が中々取れない」と「リアルに話せない内容もある」の2点が、私を悩ませます。とはいえ、もう発表した以上は前に進めなければなりません。
実際には、2025年の出来事を「人プラ」では2030年に掲載するわけです。つまり、いずれにしても「人プラ」はこのまま掲載していても、どこかで途中で切れるわけです。よって、この「人プラ余命10年」は2025年からの出来事を掲載しなければ、「人プラ」は私と共に終わらないわけです。
というわけで、「人プラ余命10年」を2025年から2034年までの期間で始めます。
では、2025年元旦から始めます。
真夜中の2時に目が覚めた私は、年末に息子からもらった本『格闘技が紅白に勝った日』(細田昌志)を大晦日から読んでいましたが、続きを白ワインを飲みながら読みました。
実は私は、「この作家と会いたい」と思うと、実際に会いに行く事があります。後日、この作家細田昌志氏とも会うわけですが、この時も本を読みながらそう思いました。
これが、私の2025年の始まりです。
1月4日。信貴山にお参りし、お年玉を50袋用意しました。そのうち30袋をお寺関係者の方にお渡しし、残りの20袋をお賽銭箱に入れました。
私は毎月、信貴山千手院にて社員及びその家族の皆様、そして関係者の皆様の健康と幸福を祈願します。もう40年以上続けています。毎回参拝する事に心から感謝しています。
ただ、1月だけは、社員及びその家族の皆様・関係者の皆様への祈願だけではなく、「世界平和」についても祈ります。年の初めの1月だけの私の祈りです。戦争によって起こる悲惨な状況をテレビやネットの画面を通じて目にするわけです。安全な場所にいて、画面を通じて見ている自分がもどかしい気持ちになります。せめて、「世界平和」を祈る事しか出来ません。
今年は「巳」年。蛇は「金運上昇の象徴」とか「脱皮しないと蛇は死ぬ」とよく言われます。「脱皮」とはビジネス上で言うところの改善とか改革をしなければ、企業も生き残れないという事でしょうか。毎年1月4日が初出式ですが、今年は土曜日だったので、仕事始めと初出式は1月6日からでした。4日は全国拠点長会議が開催されました。第1週土曜日が全国拠点長会議の決まりで、余程の事がない限りこの予定は変わりません。
今年最初の全国拠点長会議において、管理職の皆さんに次の事をお伝えしました。
それは、上司からの指示への受け答えに対してのアドバイスです。「単に返事や愛想の良さで好印象を与える管理職であってはなりません」。これが、2025年最初の管理職の皆さんへの挨拶でした。上司からの指示に対し、ただ単に受けているだけではなく、その指示に対しアイデアや創意工夫・改善等提案してこそ素晴らしい管理職です、と伝えました。
同時に、今年の抱負として、私個人の事も発表しました。「あえて皆さんに共有できない目標があります」と前置きして、私の場合は2年後に迎える「80歳の壁」を超える目標をマトリクスにて説明し、私のように「個人の目標」も持つように改めて話しました。
今年最初の海外出張は初出式を終えた当日の1月6日14時30分、関空発の台北行です。
私はリュックサックを背負っています。その中には、信貴山でご祈祷していただいたお札を入れています。お札には「銀座に志かわ敦南店」の商売繁栄が書かれています。
2025年1月10日。
「銀座に志かわ敦南店」が上海やロサンゼルスに続き、3番目の都市としてオープンします。1月8日にはメディア発表会や身内内覧会が開催されました。台湾では近年、日本文化が同時進行で浸透しています。ここ数年、日本同様に台湾でも「食パン専門店」ブームが起こり、そして「食パン専門店」ブームは落ち着いています。そのため、メディア発表会で「何故今頃、銀座に志かわが台湾に出店するのか」という質問が出ました。
何故「銀座仁志川」は「食パン専門店」ブームが落ち着いているのに台湾に出店するのか。
その後、「銀座に志かわ敦南店」がオープン早々から大変な問題に直面するわけです。
2025年1月は波乱含みの幕開けとなりました。毎年そんな感じです。
次回、10月29日に掲載します。
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