2025年8月13日。
OSGはこの日から17日まで夏期休暇に入ります。その夏期休暇初日、私と山田社長、創立記念式典実行委員会本部の担当者らと最後の協議を行う事になりました。色々な課題がありましたが、その中で重要だったのは第二部の謝恩パーティーの最後のシーンで「5年後にお会いしましょう」とするか、「10年後にお会いしましょう」とするかを決めなければなりません。式典まであと2週間と迫っていました。
創立55周年記念式典の次を、創立60周年記念式典とするのか。または10年後の創立65周年記念式典とするのか。役員の意見は分かれ、私に一任された中での最終日です。
創立60周年記念式典であれば、私は83歳。
創立65周年記念式典であれば、私は88歳です。
いずれにしろ、5年後よりも10年後の生存率は厳しいわけですが、私はあえて、創立65周年を選びました。ここからの10年は、私にとって非常に厳しい状況です。いわゆる「80歳の壁」を乗り越えなければなりません。
私は今まで、社内の年初めの「初出式」において「何としても今年は生き残りをかけて勝負する」等と毎年のように社員さんに向けて話していました。しかし、いよいよ文字通り「生き残りをかける」サバイバルゲームの始まりです。現在、私は78歳と10か月。ここからの10年は、生存率も非常に厳しくなってきます。
平均寿命をネットで調べると、「0歳児が平均して何年生きられるかを示す平均余命」との事です。現在の日本の平均寿命は、女性で87.13歳、男性で81.09歳です。そうなると、60周年で83歳を迎える私は、平均寿命で考えると参加する事はできません。まして、65周年となればなおさらの事です。
結果的には、創立55周年記念式典の最後のスクリーンで「10年後にお会いしましょう」というメッセージが流れました。
記念式典を終えた夜、私は1人で考えました。さて、この10年をどうするのか。そこで思いついたのが「余命10年宣言」です。これだ!と思いました。私は常々、自分は死ぬなら癌がいいな、と思っていました。それは、余命〇年や〇か月と言われれば、その間に身辺整理ができます。
「ピンピンコロリ」という言葉があります。「健康で長生きし、亡くなる直前まで病気に苦しむことなく、最後は寝込まずにコロリと死ぬこと」を意味する言葉です。理想らしいです。でも、私にとってそれは理想ではありません。
「余命10年宣言」。
これだ!と思いました。自ら「余命10年」と思えば、それなりの準備ができます。創立記念日の8月29日の夜にこの言葉を思い付きました。
55年前の8月29日の夜の事は全く覚えていません。しかし想像はできます。
23歳の私は「よし、やったるで!」と、まぁそんな感じでしょう。
55年を経た78歳の私も、この日の夜に「よし、やったるで!」と叫びました。
翌30日、私は主治医にLINEを送りました。
「先生、私を余命10年としてサポートして下さい」と伝えました。
私自ら「余命10年」を宣言したのです。
9月2日16時。
私は主治医の先生と向かい合っていました。
以前、私は「人間は事故以外では、どのような原因で亡くなるのですか」と質問した事があります。この日も、先生に改めて「10年生きるための話」をしました。
以前に先生からは「人間死ぬのは癌と血管だ」と教えていただきました。癌が細胞を侵し、血管が詰まる事で亡くなる。特に血管は脳と心臓の部分、即ち脳梗塞や心筋梗塞です。ピンピンコロリの「ピンピン」がなく、「コロリ」の部分だけです。急に逝ってしまいます。
次に癌の部分です。先生の話を要約すると、病名はここでは控えますが、癌の種類によっては完治する場合と延命治療ができる場合があります。逆に、完治どころか延命治療も厳しい場合もあるとの事です。これはリアルな話です。私は興味を持って聞き、時にはメモをしながら、不思議なぐらい悲壮感はなく、むしろ学生のような気持ちで聞いていました。
実は、29日の夜に自ら「余命10年宣言」をした時から、何かスカッとした気持ちになりました。今回は第三者の先生方に言われたのではなく、自ら決めたわけですので、コントロール権はこちらにあります(笑)。何故、この方法を以前から考えなかったのか、不思議で仕方ありません。今回、自らの判断で決めたわけです。中々いい感じです。
そう言えば、私の人生の中で、このような場面があったな、と思いました。それは、毎年誕生日に「1年に向かって遺書を書く」という事をしていました(第41回「25回の遺書」2006年9月1日掲載)。限りある命として「1年間を意識して生きる」事を25年間やってきた経緯があります。その事が私の人生を濃く、充実したものにしてくれました。
今回は「10年間」です。ただし、当時と現在の私とは、年齢も含めて背景が違います。
来年1月で79歳。完全な後期高齢者。まさに生き残りゲームの最終コースです。
私は笑いながら「余命宣告ではなく、余命宣言です」と訂正を求めました。
2025年8月29日。創立55周年記念式典を終えた夜。
私は自ら「余命10年宣言」を行い、この日から10年に向かってスタートします。
さぁ、「ここからだ!」
次回、10月29日に掲載します。
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