ゴールデンウィークを初めて迎えるCOFFEE ROASTERY「銀座に志かわ・築地店」は、今まで来店していなかったインバウンドのお客様の影響もあり、売上のギネスを更新していました。私はこの期間中、「銀座に志かわ」の店舗巡りをしながらウォーキングをしていました。5月4日は、品川からお台場、豊洲を経て築地へと移動していました。だいたい20㎞コースです。ラジオを聴きながらウォーキングしている時、あるラジオ番組で日本の有名ホテルの専務が「SDGs」について話をしていました。場所はちょうど豊洲あたりです。私はガソリンスタンド兼コンビニで飲料水を買い、腰を下ろしてその話を聞いていました。そして、このホテルの専務に会いたい、と思いました。私にはこうゆうところがあります。以前、ホノルルマラソンを走りながら現地の日本語ラジオ番組を聴いていた際、がんサバイバーの杉浦氏が出演。私はこの後、杉浦氏に会いに行きました(「人生はプラス思考で歩きましょう!」第474回 がんサバイバーホノルルマラソン 杉浦 貴之氏 2021年7月10日掲載)。必ずこのホテルの専務と面談しよう、と決めました。
この年の5月は、築地店に代表する「イートイン付き食パン専門店」に対する考えが思考回路の中で大部分占めていました。おそらくそれは、「カフェ」という領域が私にとって初めての試みだったからだと思います。「食パン専門店」業界はオーバーショップ化によるレッドオーシャンと淘汰の時代に突入し、「次の一手」をどうするのか模索している時でした。
一言で言えば、「銀座に志かわ」のビジネスモデルをカフェ付き食パン専門店にモデルチェンジするかどうか、判断をしなければなりません。そのためには「築地店」だけでなく、あと数店オープンして、見定めなければなりません。この時期、私はおもしろい物件があると言われ、飛騨高山まで足を運び、物件の下見に行った事もありました。他方で、私自身の身体に「ふらつき等」の異変が起こり、関西電力病院で日帰り検査を受ける事もしていました。
また、公益社団法人「アジア協会アジア友の会」の理事長として、海外案件等の問題も抱えていました。もちろん、大阪・関西万博でのOSG無償給水機案件や3か月後に迫った「OSG創立55周年記念式典」の準備委員会にも参加していました。「猪木元気工場」では、「AI猪木」に関する案件もありました。
整理すると、「銀座に志かわ」モデルチェンジ・OSG創立55周年記念案件・公益社団法人「アジア協会アジア友の会」案件・「猪木元気工場」案件・そして、私自身の身体の変化 です。これら全てを優先で対応しなければなりません。しかも、それを前向きで明るい気持ちで行う事、を自分の条件としていました。逆に言えば、「嫌な事からは絶対に逃げない」というのもその条件です。
5月前半の私は、「銀座に志かわ」のモデルチェンジに意識が集中していました。78歳にして、初めて挑戦するカフェ市場です。当時の日記には、「自慢の食パンとコーヒーのペアリング」とか「カフェは自分の居場所」といった言葉が書いてあります。5月5日は上海に初進出した「上海香港プラザ店」のオープン記念日で、3年目を迎えました。上海3号店「上海蟠龍天地店」のオープンが「イートイン付き食パン専門店」の方向性を決めるきっかけとなった店舗でした。そして4号店として、私は「食パン専門店カフェレストラン」という新たな形に挑もうとしていました。進出先は、上海市内でも有数なショッピングモール「上海興業太古滙」です。本来なら、このクラスのショッピングモールに「銀座に志かわ」が入居する事は中々厳しいです。世界の一流ブランドがテナントとして入っています。では何故入れたか。それは、中国の不況という側面です。モール側から私どもに出店の話が来ました。私は、「この機会を活かす」と出店を決断しました。そのモールで、「銀座に志かわ」初の食パン専門店カフェレストランの進出です。もちろん、多岐にわたって議論した上での判断です。しかし、事前にどれだけ協議しても、将来が分かるわけではありません。この決断が吉と出るか凶と出るか、は神のみぞ知る話です。それでも、やらないで悔やむより、やって学びたい気持ちが勝り、私たちは進出する事を決めました。
私は5月28日に上海に飛びました。店舗設計は既にできていましたが、なんとその店舗で提供する「食事メニュー」がまだ手付かずでした。オープンまで3か月を切っています。
次回、6月29日に掲載します。
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