代表取締役 湯川 剛

人と人との出会いを「偶然」という言葉で結び付ける場合もありますが、ある人は「それは必然的な出会い」と説明する人もいます。

結果の出ないまま終えた宣伝会議から1週間も経たない1983年2月の初旬。私は設立間もない福岡営業所の社員募集の為もあって、博多に出張する事になりました。いつものように新大阪のホームで新幹線を待っていると、修学旅行らしき女子高校生らが何やら騒がしくしている事に気がつきました。ふと黄色い声の先に目をやって、私の視線は釘付けになりました。

これは偶然か、それとも必然か。

そこには何と、とても体格の良いプロレスラーだと思われる選手を何人か従えた、あのアントニオ猪木さんが女子高生達に囲まれていたのです。写真やサインに応じる猪木さんは、大勢の人に囲まれながらも一際目立った存在でした。まさにスーパースターのオーラに溢れているといった感じでした。私は数日前に聞いた「猪木さんの出演は無理です」という言葉に、妙に納得させられました。多分あの猪木さんが放つオーラが、納得させたのだと思います。
待っていた新幹線がホームに入ってきて乗り込む直前に、もう一度アントニオ猪木さんへ目を向けると、猪木さん一行も同じ列車に乗る様子でした。

猪木さん一行とは別車両でしたが、「同じ列車に乗っている」と思うと複雑な気持ちでした。
諦めていた筈なのに、実際に自分の目で「アントニオ猪木」という人を見て
「リズムタッチを日本一にする為には、やはりアントニオ猪木さんがピッタリだ!」と思えて仕方がなかったのです。それから私は
「無名な会社ですが、出演料も少ないです」と独り言のように繰り返しながら、
「このままいっそ、直訴しようかな・・・」とまで思っていました。しかし、今ひとつ勇気がないまま、新幹線は広島駅に到着。猪木さん一行は、広島駅で降りて行かれました。
降り立ったホームで、またも大勢のファンに囲まれている猪木さんを新幹線の窓越しに見ながら、私は博多に向かいました。

さほどプロレスファンでもない私でしたので、CMの話がなければ、出張途中にたまたま有名人と出会っただけの場面です。しかし
「リズムタッチを業界日本一にする」
「日本一に相応しいタレントをCMに起用したい」
「アントニオ猪木はどうだ」
「それはいいアイディアだ」
「無理です、理由は簡単。無名な会社だから」
「それなら諦めよう。それじゃぁ、だれがいいの・・・」とこの数日前の話が頭の中で繰り返していました。実物を見るパワーは凄いです。さほど宣伝会議中ではそれ程「アントニオ猪木」を意識していなかったのに、この「諦めきれない気持ち」は、いったい何なのだろうと自分でも不思議でなりませんでした。

それがその後とんでもない行動を起こさせるとは、私自身も思っていませんでした。

(次回に続く)

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