代表取締役 湯川 剛

あれ程「自社ビルが欲しい」と7年の歳月に思いを寄せていたものの、出来上がってしまうと何ら感慨深いものはありませんでした。むしろ次の目標に向かって走っていました。
そんな私の気持ちが伝染したのか、社員さんも「本社ビル完成」に対して私がそれまでに考えていた程、喜んでいる様子でないように感じました。自分の勤めている会社が賃貸ビルに入っているよりは自社ビルの方がまぁまぁ・・・程度だったのでしょう。まさか私の気持ちを察して「掲げた目標はクリアしたのだから、次の目標に向かって」と、まさに一心同体の気持ちであったなら「喜び少々」でもいいかもしれませんが、残念ながら私の思惑は外れていました。
社員さんと話をしてわかった事は、「結局は本社ビル完成と言っても、それは会社の所有物であり、自分達のものではない」という事でした。もしこれが社員さんの「自宅完成」なら、満面の笑みで喜んでくれた事でしょう。それから数日後、私は徹底的に考えました。その結果「みんなで家を建てよう」との考えに辿り着きました。
「全社員で持ち家の為の財形貯蓄しよう!」
同時に私は重大な決意をしました。

私はよく「18歳の年に親の借金を600万円(現在の金額に換算すれば約4000万円!家が1軒買える金額だった)を背負った」とカッコイイ事を言っていますが、簡単に言えば借金を返せば、担保に入っている父親名義の自宅は私のものになるという条件でした。但し返済しなければ没収されるという事です。当然の事でいくら金融機関でも無担保で18歳の私に借金を背負わせる事はありません。

その自宅を私は潰しました。親が借金返済をしてでもこの建物は残しておけと言われた形見の自宅でした。120坪程度の土地でしたが、丹精込めて父親が作った自慢の庭もあり、思い出がいっぱい詰まっている自宅でした。その親から譲られたこの自宅をぶっ潰してしまいました。私は腕を組み仁王立ちしながらブルドーザーを睨み付けていましたが、2日間で見事に家屋は影も形もなくなりました。両親は既に亡くなっていましたので叱られる事はありませんでしたが、兄や姉が「何をするのだ」と駆けつけてきましたが結局は借金を返したのは自分だからと言う事で諦めて貰いました。それはビル完成18日後の事でした。寒い2月27日と28日の出来事です。親が大事にしていた小さな池と樹木は、やはり潰せなかったですがそれ以外は更地になっていました。

「これで社員のみんなと同じ条件だ。私にも家がない。」

(次回に続く)

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