代表取締役 湯川 剛

どうも私は「カ〜ッ」と熱くなるところからモチベーションがアップする性質のようです。
良いのか悪いのかは別として、この「カ〜ッ」がエネルギーの震源地となっているように思います。
第1次7カ年計画のきっかけを作った「君の会社は雑居ビルだから・・・」の言葉に「カ〜ッ」となって
「よし!それなら自社ビルを建ててやる」と走り出せるのですから、「カ〜ッ!モチベーション」は結構効果があります。(笑)
今回の「カ〜ッ!モチベーション」のきっかけは11月11日の「決起の日」です。
その日を境に「日本一と取り組む」という言葉を、社内で広めました。
第1次7カ年計画において土地の確保でほぼ先が見えてきたので、むしろ思いは「業界日本一」に取り組む事で気持ちがそちらに切り替わっていました。問題はいつ業界日本一になるかという事で、「第2次5ヵ年計画」の立案に入りました。1985年に業界日本一になるという設定でした。
では業界日本一の基準はどうすれば良いのか。西山社長に相談したところ
「年間10万台やねぇ〜」と言われました。
「10万台?」私は驚きました。同時に悔やみました。そんな数字も知らないまま社員さん達に「業界日本一になるぞ」と言ったものの、なんとバカな事を言ってしまったのかと思いました。
幸い社員さんも単に「業界日本一」だけに関心があって、「どれだけしなければいけないのか」という点にまでは関心は及ばない状態でした。
「5万台位でどうでしょうか」と西山社長に目標設定を値切るような話を投げかけましたが、西山社長は
「やっぱり10万台やね」といつものニコニコ顔で澄まして言いました。売っているとはいえ初年度に2万台未満、それが7〜8倍の10万台という目標に
「無理ですわ」と言ったところ
「だから業界日本一なんだ」と。業界日本一の目標台数を低めで設定する自分を情けないと思いました。
「わかりました。やります、10万台」
こうして第2次5カ年計画が立案されました。すなわち1981年から85年までを5カ年計画とし、85年の年に10万台をやる事で「業界日本一」と設定し、1979年も慌しく年を終えました。
この年も不眠不休の365日でした。

(次回に続く)

ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp