代表取締役 湯川 剛

2月に初めて実施したJR駅ナカでの品川駅催事が最高の成果を出したとの事で、2度目の品川駅催事が9月1日~9月30日まで行われる事になりました。結果的には、1か所の催事場で月間約2万本という驚異的な販売記録となりました。1日平均700本弱です。生抹茶みつ等も売れ、売上は約2000万程になりました。コロナウイルスショックの中にあって、「食パン専門店」は飲食店のようにお客様との接触がなく、いわゆるテイクアウト方式が当たったのでしょうか。他の飲食店のような悪影響はなかった感じです。

絶好調の9月が過ぎ、10月に入ると様々な問題が私に向けて襲い掛かってきました。その1つが、共に「銀座仁志川・熱血版」を育ててくれた編集長が突然亡くなった事です。
「熱血版」とは、既に「人プラ」で何度か掲載しています(第568回 「銀座に志かわ・熱血版」 2023年12月1日掲載)。加盟店様向けに、日々の出来事をメールで情報発信するもので、いわゆるメルマガ的な存在です。この「熱血版」の存在によって、全国の加盟店様に成功事例や失敗事例を日々発信していくわけです。

この「熱血版」の制作には、私自らも力を入れましたが、最大の相棒である阪本編集長の存在抜きに語る事はできません。彼は阪神タイガースの熱烈なファンで、社内でも有名なトラキチです。一度、彼に誘われて甲子園に行った事もあります。社内の誰からも愛され、仕事も完璧にこなす人物でした。

10月14日。私は千葉方面の新しい店舗のオープンセレモニーに行く事になっていました。電車が来るまでの僅かの時間に、私は阪本編集長に電話をしました。数日前より体の調子が悪いとの事で、日々発信している「熱血版」を休刊するように話しました。彼は「熱血版」が休刊する事を気にしており、私が「そんな事は小さな事なので、まずは回復する事です」と電話で伝えましたが、結果的にはこれが彼との最後の会話でした。10月16日20時58分に彼が亡くなった、と社長から連絡が入り、訃報を知ったわけです。
話によると、同僚Y氏が数日前から調子の悪い阪本編集長を自宅まで車で送った事もあります。その日、食料品などの差し入れを持って自宅に訪ねたとの事です。ところが、部屋の電気は点いていましたが、インターフォンを鳴らしても応答がなく、最終的には119番に連絡し、室内に入ったところ亡くなっていたとの事です。私にとって、最大の相棒が突然亡くなり、右腕がもぎ取られた気持ちです。この時期の思い出は多々あります。その中で、今なお私の心の中に刺さっている事があります。それは、西日本のあるオーナー様の心無い言葉でした。このオーナー様の「編集長が亡くなろうが、熱血版は発信するものだ」というメールでした。ここで書くべき事ではないと思いますが、もう二度とこの場面を思い出さないためにあえて掲載します。このオーナー様は、些細な事においてもクレームと称して、本部や私にメールをされます。時には1日に何通もメールをされる場合もあり、病的かと思うほどの執拗なメールです。銀座仁志川の担当者にも必要以上の叱咤をされたり、罵詈雑言的な発言もされます。聞くところによると、その加盟店の社内でも些細な事で暴言を吐かれるらしいです。それから1年以内に脱会されました。

阪本編集長の突然の死は、多くの混乱を招きました。そんな大変な時に、ある週刊誌の取材が日夜を問わずやって来ました。内容はアントニオ猪木に関する事です。ここで詳しい事は控えますが、10月28日掲載との事で、その3日前の10月25日に自宅に押しかけ、取材の依頼がありました。私が不在の為に家族が対応しました。「本人は不在だ」と告げたにも関わらず、翌朝早朝にも訪ねてきたとの事で、確認すると自宅の前に車を止めて待機していたとの事です。私個人の顧問弁護士を通じて週刊誌発売元に抗議し、引き上げたとの事です。それから3日後に、全くの事実無根の記事が載っていました。しかも、この日は私が猪木宅にお見舞いに行っていた日です。私と猪木が会う事を嫌がった人の仕業だと思いますが、さすがの私もこの10月は嫌な思い出の月となりました。

9月の品川駅催事大成功の後、正に「好事魔多し」と言わんばかりの出来事が10月に襲ってきたのでしょうか。


次回、1月20日に掲載します。

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