代表取締役 湯川 剛

私の30代のスタートは、1年365日・年中無休の日々でした。社長業と教育指導する指揮官の二足のワラジ≠ヘ、想像以上に厳しかったです。でもそれを成し遂げようと思う強い動機付けは、私の肩にのしかかっていました。父親の借金返済・自社ビルを建てる約束の実現・誤報記事によるどん底からの脱出・西山社長の期待に応える・自社製品の誕生の成功。そして何よりも付いてきてくれている社員さんに「よかった」と思わせたい、という気持ちが自分を駆り立てていたと思います。不思議と社員さんが集まってくれました。面接時に「こんなビルを建てるので、一緒にやらないか。」から「ひとつの市場を確立するのでやらないか」と変って来ました。

ガソリンスタンドで低周波治療器を販売する。テーマは「健康管理で安全運転」です。
当時、ガソリンスタンド業界には、「TBSA商品」として、油外商品があります。Tとはタイヤ・Bとはバッテリー・Sとはスペシャル・Aとはアクセサリーに分類されていました。その全てが「車」が市場なのです。タイヤやバッテリーなどは全て「車」を対象に販売しています。

しかし私はGSに「車だけを市場と思ってはダメです。車を運転しているドライバー自身市場です。そのドライバーが帰る家庭も市場です。」と繰り返し言いました。そこで出来たスローガンが「車から人、人からファミリー」という言葉でした。GAT訓練を受講した訓練生は日頃の商品とは違った低周波治療器を次々と運転手に説明しました。その結果、私が想像する以上にGSマンは大活躍をしました。たまたま第1回目の企業が大成功を収めたのではなく、次々と受講する企業が結果を出してくれました。異業種の商品での大成功は、次の本業製品(オイル・洗車・タイヤなど)の販売キャンペーン等、簡単にクリアしていきました。むしろ異業種製品での取扱が今までと違った販売の発想を生み、それが本業に生かすのでますます実績が上がっていきました。驚異の事例としては、前年1年間のオイル販売が1ヶ月間で成し遂げるとんでもない企業も生まれました。それが、業界新聞や専門雑誌に取り上げられる度に訓練以外に講演等の依頼も殺到してきたわけです。毎週土日は殆どが訓練日に当てられました。

この年(1978年)は、自社製品(リズムタッチ)の厚生省申請等での準備を西山社長がやって下さり、11月の終わり頃に「年内には出来ますよ」との連絡が入りました。いよいよ自社製品がガソリンスタンド市場に打って出ることへの興奮を感じました。そこで年明けの1月15日の私の誕生日に合わせて「リズムタッチ」の発売発表をする事が決まりました。
この年に「熱中時代」という言葉が流行ましたが、私自身にとっても仕事に熱中した不眠不休の1年間でした。

(次回に続く)

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