代表取締役 湯川 剛

『国境を越え、過去を乗り越えた友情の絆「フィリピン水道建設プロジェクト」――感動の実話を映画化!日本とフィリピン両国のボランティア達の献身により、戦争の傷を乗り越え9年もの歳月を費やし完成したフィリピン・パンダンの水道建設工事にまつわる感動の実話を映画化!今なお世界には、安全な水が供給されずに死んでいく子供たちが年間100万人以上いる。この物語は、過去を乗り越え「今を生きる」ことの大切さを教えてくれる「人間賛歌」である。現代の日本やアジアに住む子供たちに広く知ってもらい、より豊かでハッピーなアジアの未来を築くために――。

ストーリーは、フィリピンの首都マニラから300キロ南にあるパナイ島。その島にある田舎町パンダンに10キロにもおよぶ水道を建設するプロジェクトが進められようとしていた。女子大生の明日香は、友人に誘われるまま、何も知らない状態でボランティアとしてプロジェクトに参加する。明日香をはじめとする日本とフィリピンの若者たちの心を突き動かしたのは、島の人々においしい水を飲んでほしいという思いだった。日本とフィリピンの間に存在する戦争の遺恨、そして目の前のさまざまな困難や苦難を乗り越えながら、彼らは国境を越えた友情の絆を深めていく。』

映画「セカイイチオイシイ水」のパンフレットの文言です。私がこの映画でこだわったのは「今なお世界には、安全な水が供給されずに死んでいく子供たちが年間100万人以上いる」事です。それが残念ながら描かれていなかったわけです。

Yディレクターは、私には「2度見て2度とも感動した」と伝え、監督には「湯川会長は2度見て2度とも感動した」と伝えた事が双方の誤解のきっかけにもなります。監督と私の意見は平行線で交わることはありませんでした。
監督が最後に「これは私の作品だ」と言ったので、私も「これは私の作品でもある」と返しました。そして、再度監督の手で、私が思い描く映画を作ってほしい、とお願いしましたが、監督からその返事をいただく事は出来ず、結果的に面談は決裂しました。

私は、すぐさま次の監督を探しました。このような状況の中で引き受けてくれる監督がいるのか。同時に、当初の映画のストーリーから変えなくてはいけません。そこで、原作者の許可を得て、一部ストーリーを変更しました。これが「原案:湯川剛」となったわけです。Yディレクターも自分の発言から生じたトラブルに責任を感じ、再撮影に動き回ってくれました。幸いにも赤井英和さんをはじめ、多くの出演者が私の思いに理解をしていただき協力してくれました。ストーリー的には「1年後の出来事」となっていましたので、子役のアミーは、成長したアミーとしてむしろ自然な状況でした。結果的には2年を掛けての撮影となりました。
費用は大幅に掛かりましたが、自分がこの世を去る時に妥協せず完成した作品「セカイイチオイシイ水」が残るなら、大幅な出費は大きな問題ではありません。また、最初から映画による収支は考えていません。

2019年7月11日。
私はマニラに向けて、真夜中の1時25分に羽田から出発しました。
フィリピン日本映画祭に出席する為です。日本からは公益社団法人アジア協会アジア友の会のメンバーが多く来てくれました。フィリピンの日本大使館の方も来てくれました。
フィリピン日本映画祭に映画「セカイイチオイシイ水」が出品し、その上映がありました。観客のほとんどはフィリピン人です。上映中、真っ暗な映画館ですすり泣きが聞こえました。勿論、私も映画を見ながら泣きました。上映終了後、司会者に呼ばれ、舞台挨拶をするように促されました。観客席から大きな拍手が起こりました。私に、挨拶をするように言われましたが、私は感動して言葉になりません。ただ「ありがとうございました」を言うだけで精一杯でした。不覚にも舞台上で泣いてしまいました。

慌ただしい1日が終わりました。
私は部屋に戻り、改めて「2度見て2度とも感動した」の言葉が甦ってきました。

次回、6月1日に掲載します。

【追記】
9月10日17時。
映画「セカイイチオイシイ水」の完成披露試写会を渋谷の映画館で上映しました。
実際に、パンダン水道建設工事プロジェクトに携わった「公益社団法人アジア協会アジア友の会」の皆さん方も試写会に招待しました。俳優赤井英和さんが演じた現場責任者の岩田氏も参加され、感動の涙を流されました。

9月21日より、渋谷ユーロスペース他、全国順次公開の運びとなりました。
21日には子役のアミーちゃんがフィリピンから来日し舞台挨拶をする予定でしたが、風邪気味で欠席になりました。その事は残念でしたが、改めて撮り直す事を決断して良かったと思いました。

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