代表取締役 湯川 剛

2017年も相変わらずいろいろな出来事がありましたが、特にこの年は「中国プロレス」についての思い出があります。
今回もOSGビジネスとは関係のないお話を数回にわたって掲載したいと思います。

この「人プラ」にも何度か掲載しましたが「中国にプロレスを広める」という話です。
アントニオ猪木氏が「中国にプロレスを広める」という考え方で手伝う事になりました。
IGF(猪木氏が新日本の株を売却した後に支持者から猪木氏の為に作ったプロレス格闘技団体/イノキ・ゲノム・フェデレーション略)では2013年に上海でプロレス興行を行ないました。
その後、上海道場を設立し、中国人プロレスラーも育成され、その中に王彬選手が世界最大のプロレス団体WWEに入団した経過もお話ししたと思います。

さて2017年当時、猪木氏が設立したプロレス団体「IGF」と猪木氏やその周辺の人達との間にトラブルが生じ、私もその巻き添えにあった話は以前にも伝えました。
トラブルが訴訟まで発展し、IGFと猪木氏との間に大きな亀裂ができました。元々は猪木氏を「中国プロレスの父」にすべくエネルギーを費やしてやってきましたが、当然の事ながら「猪木氏のため」という気持ちがIGFにはなくなってきました。
とはいえプロレスラーを夢に見た若い中国人レスラー達には何の関係もないので、そのまま彼らを放り出すわけにもいきません。たとえ中国からIGFが消滅してしまったとしても、中国人レスラーの活躍の場を存続させるところまで頑張る事になりました。

まず、中国においてのプロレス市場の状況を説明します。
中国は格闘技においての興行は認めていますが、原則的にプロレスの興行は認めていません。特例として米国政府との関係からかWWEの興行だけは認めています。2013年に上海で興行できたのは非常に運がよかった稀有な例で、イベントを開催するには地元公安の許可を得なければ実現できないのです。現実、格闘技興行は許可され、テレビでも放映されていますが、プロレスの試合がテレビやネット放映されても中国での試合が放映されません。
そのような状況下、「如何に中国にプロレスを根付かせるか」という課題がありました。
その結果、次のような計画で中国人プロレスラーを育成する事になりました。

日本のプロレス大会に中国人プロレスラーを出場する機会を与えました。どのようなスポーツでもそうですが、やはり道場やグランド・練習場だけでは技術も上達しません。
そこで日本のIGF大会に出場しました。言葉の弊害はありますが、若いレスラーはそれなりに観客にアピールします。ただプロレスの世界では「中国」ブランドは今一つ支持がありません。いずれにしろ、中国人プロレスラーにとってみれば、日本での試合は「アウェー状態」です。幸い、彼らは余り日本語が通じませんので観客のヤジは聞こえませんが、当時も「反日反中」でしたので、心無いヤジもありました。同じ外国人レスラーと言っても欧米人レスラーと彼ら中国人レスラーとは大きな開きがありました。当然、欧米人レスラーと比較しても、体格や技術及び経験は横綱と幕下の違いはあります。
この時はただただ経験を積む、日本人レスラーの技を学ぶ事を中心に日本の大会に出来る限り出場する事にしました。彼らもそれなりに一生懸命、日本の試合で一人前のプロレスラーになるために頑張ってくれましたが、やはり観客の声援が必要です。

そこで「在日中国人」の関係者に呼びかける事にしました。そのために中国大使館を訪れました。中国大使館の人達は日本文化も多少精通していますので「プロレス」というものは少し認識していました。とはいえそのプロレスに中国人レスラーが登場する事には驚いていました。ここでも「これからの中国にプロレスは大きな市場になる」という話をしました。この話はもう既に何十回もしています。3000年の歴史がある少林寺やブルースリーやジャッキーチェン等のカンフー映画等、中国人は格闘技を見るのが大好きであるとのロジックです。中国大使館の職員も納得したのか「在日中国人」として新聞社を紹介してくれました。私は「在日中国向け」の新聞社が日本にある事を初めて知りました。
早速、池袋と新宿にある「在日中国人向け」新聞社を2社訪れました。また在日中国人だけの組織が至る所にある事も知りました。その代表者とも数名面談しました。
彼らは私の思いや夢に快く応対しました。そりゃそうだと思います。自分達の国に新しいスポーツエンターティメントを日本人である私が広めてくれる事に好感を感じるのは自然の事でした。

この時の私は「何としても中国にプロレスを広めたい」の一心でした。
理由は簡単です。元々はアントニオ猪木氏の発案であった「中国にプロレスを」がその後のIGFとのトラブル以降、一切のノータッチ状態でした。むしろ、それを邪魔するような状況になっていました。しかし、そのような状況とは関係なく、若い中国人レスラーはプロレスラーを夢に見て故郷から上海に出てきたのです。中には家が貧しくて、僅か1000元のお金を握って野宿して上海道場を訪ねてきた若者もいます。その若い選手達をそのままにしておく訳にはいかない事が当時の私の強いモチベーションでした。

中国大使館を訪れた時に職員が発した言葉が偶然にも「在日中国人向け」新聞社の社長達が私に言った言葉が同じでした。それは「中国でプロレスを発展させたいという強い想いの湯川さんには感謝します。このような事をするには必ずクレージーと呼ばれるような人が必要なんです」と言われた言葉が強く印象に残っています。

そこで中国大使館の職員や在日中国人向け新聞紙で呼びかけた在日中国人の人達をプロレス会場に招待しました。この日、後楽園ホールでは50名以上の中国人観戦者が来てくれました。
さて、中国人にプロレスが受けるのか。少林寺やカンフー映画の説明通り、中国人はプロレスを受け入れてくれるのか。それとも反発するのか・・・。

【追記】
2022年7月27日。この日は2017年に発生したアントニオ猪木氏とIGFとの係争にピリオドが打たれた日です。すなわち「和解」した日です。

実質的には昨年春より、猪木氏個人とIGF関係者との間では和解をされていましたが、その間、猪木氏周辺の人達のそれぞれの思惑の中でまだ埋められない大きな溝がありました。それを埋めるのに無駄な1年以上を費やした訳です。
病床の身にあるアントニオ猪木氏をIGFが準備した部屋に引っ越しをしたのが8月2日です。これをもって名実共にアントニオ猪木氏とIGFは完全に和解したわけです。

私から言えば、そもそも何もなかった案件を問題として取り上げ、まさに「不毛な5年間」の闘いでした。もし猪木氏とIGFに亀裂が起こらなければ、中国のプロレス状況も大きく変わっていただろうと思います。
しかし、過ぎたことにとやかく言う性格もなく、明日に向かって新たな目標に挑めばいいと思います。勿論、その中にアントニオ猪木氏を「中国のプロレスの父」にしたい明確な目標があります。

猪木さん!!病魔に負けず、がんばれ。

(次回に続く)

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