代表取締役 湯川 剛

迎えの車が来ました。
バンガロール空港への移動途中、インド滞在中の通訳をしてくれていたインド人青年が、「湯川さん。ニューデリー国際空港まで1人で行って下さい。私は家の事情でご一緒出来ませんが、バンガロール空港のカウンターまでは、私もついていきますので大丈夫です」と突然言い出し、私は「えっ?」と思いましたが、致し方ありません。

バンガロール空港に到着すると、銃を構えた軍人が至るところにいました。
入口にも数名の軍人がいて「空港内は航空券を持っている者以外はロビーにも入ってはいけない」との事でした。勿論、航空会社のカウンターはロビーの中にあります。 インド人青年は「言葉が通じない日本人の搭乗手続きを補佐したい」等とたぶんそのような説明をしているのだと思います。一生懸命軍人達に説明をしていましたが、航空券がなく、ロビーに入れません。彼は私に申し訳ないような顔をして、ひとりで対応するようにいいました。仕方なく気丈夫な顔をして、私は「了解しました」としか言いようがありません。

彼と別れて1人で何とか「ノーイングリッシュ」で探し回り、カウンターに辿り着きました。
その後、ゲートまでやはり「ノーイングリッシュ」で何人かのインド人に尋ねながら、やっとゲートに辿り着き飛行機に乗ることが出来ました。問題はここからです。私は機中で「ニューデリー空港のローカル線から国際線への移動」に対して、どうして行こうかを考えていました。入国した際の動きの逆回りをすればいい訳です。言葉ではそうですが、わずか2日前とはいえ明確に覚えてはいません。その間に出国手続きもあれば、荷物検査もあります。とにかく一番の問題は英語が出来ない事です。頼るのは「ノーイングリッシュ」だけの世界です。そのように思っている内にニューデリー空港国内線に到着しました。「さぁ、ここからだ」

たぶん、私の生涯の中で「真夜中の空港」を走り回ったのは、この時が初めてです。
とにかく走り回っていました。右に走って、また逆戻り。左に走って立ち止まる。そして東洋人の顔を見つけては「日本人ですか?」と声をかけ、中国人パスポートを見せられた事もあります。想像して下さい。真夜中の空港に言葉の通じない日本人が走り回っている姿を。私が今、こうして「人プラ」を書いている時も笑いこけています。何キロ走ったでしょうか。この日の万歩計は予定をはるかに超えていたと思います。

いずれにしろ、ローカル線から国際線カウンターにたどり着いた時にはひとりで感動していました。
そこにたどり着くまでに「ソーリー」「ノーイングリッシュ」「インターナションルカウンター」この3つのジャパニーズ英語を何十人の旅行者や空港職員に使った事でしょうか。しかも殆どが通じていませんでした。JALや全日空のカウンターなら安心するのですが、たぶんインド系の航空会社だったと思います。いずれにしろ、ギリギリの時間でチェックインが出来ました。 機内で、自分が真夜中の空港を走り回っている姿を思い出し、ひとりで笑っていました。そんな時にインド人女性キャビンアテンダントが何か話しかけてきましたが、全く意味が分かりませんが多分、食事だと思います。テキトーに英文メニュー表に「コレ」と言って指さしました。その間、数秒です。判りもしないのに、判ったような顔をしないのが若い時からのモットーです。 実は、ここからが楽しみです。 テキトーに「コレ」と指名した英文に、さてどんな料理が出てくるのでしょうか。 そうです。このような状況になった時、殆どの人は不安がる訳です。また、メニュー表を見ても判らない事に困る訳です。「判らない、どうしよう」「どのような料理がやってくるのか」と、楽しい機内食に出会うまでのわずかな時間に不安を感じるのは、私から見ればもったいない事です。 私の場合は、それが楽しみなのです。「判らない、けど面白い」そして同じように「どのような料理がやってくるのか」が楽しみです。

でも、英語は知っている方が断然いいです。

ニューデリー空港を現地時間2時55分に出発し、上海浦東空港現地時間10時55分着。
実質機内で5時間30分のフライトでした。

(次回に続く)

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