代表取締役 湯川 剛

2012年2月。
溝端執行部は、第7次3カ年計画(2010年2月1日~2013年1月31日)のラストイヤーを迎えました。

ここで少し社長交代の話を簡単にまとめます。
1996年2月。OSGは創立25周年記念式典をハワイで行ないました。
その席上「60歳で社長をバトンタッチする!」と宣言。私が49歳の時でした。

私が60歳を迎えた07年3月に溝端社長と交代。OSGはツートップ制を採用します。
社長職から会長職に変わり、いわゆる表紙が変わっても中身は変わらない会社を多く見てきましたので、社長職と会長職は明確に区別しました。
溝端社長はOSG本丸の仕事を行ない、会長職である私は「未来ビジネス」を担当。
つまりOSGグループの人事や賞与査定などの権限は全て溝端社長に委ねました。

2012年2月、溝端体制は5年目を第7次3カ年計画ラストイヤーとして迎える訳です。同様に私も会長職として「未来ビジネス」担当の5年目に入りました。

「未来ビジネス」とは、OSGの将来の収益構造や市場構築を行なう事を目的としています。「未来ビジネス」を大分すると事業領域の拡大とグローバル化になります。事業領域拡大の代表格は水宅配事業、またグローバル化の代表格は中国事業を行なう事です。
その他の事業領域拡大として自販機事業とプレッシャーウォーター事業がありますが、これらはOSG本丸に組み込まれます。この辺りは第409回までに掲載されています。

この「人プラ」(人生はプラス思考で歩きましょう!の略)において、この数年は水宅配事業と中国事業について交互に掲載しています。恐らく途中から読まれた方は混乱されたと思います。
中国ビジネスと水宅配ビジネスの2012年辺りに行くまでの経過を簡単に説明します。

まずは中国ビジネスについてです。
02年に香港の上場会社「天然社」との出会いから、03年に中国進出。当初はOSGと天然社の合作にて順風満帆。ところが「好事魔多し」の例え通り、05年秋に突然の「衛生部ショック」(第297回)。その影響を受けて合作の立役者であった天然社の金鋭董事長が辞任。この辺りから中国ビジネスは厳しい道のりを歩みます。私と個人的なつながりの強かった金鋭氏との関係から彼に翻弄され、同時にこの金鋭氏によって中国での数々の障害に助けられもしました。董事長辞任をきっかけに弱体化した天然社と金鋭董事長に育てられた約300社の代理店も親金鋭派と反金鋭派に分裂。中国現地法人「欧愛水基」は天然社と決別し、金鋭氏と「珠海欧愛水基」を設立。
ここまでが「人プラ」に掲載した中国ビジネスにおける11年までの流れだったと思います。

さて、この金鋭氏と設立した「珠海欧愛水基」は2012年以降どうなっていくのか。

次に水宅配事業ウォーターネット社(略、WN)についてです。
06年3月にWNが設立。設立までの経緯が凄い。設立メンバーが新聞・テレビ等のメディア等にも登場する有名人達。後々を思えばドラマのようなストーリーで、特にWN社を乗っ取ろうとした場面などは見応えがあります。(第340回~342回)

中国ビジネスも水宅配ビジネスも、私が単なる第三者ならストーリーとして出来すぎるくらい面白い内容ですが、ストーリーの中にいる当事者の一人としては面白いという余裕もなく、当時の状況は四文字熟語で表すと「暗中模索」または「七転八倒」な筋立てです。
面白いという余裕はなかったものの、辛いとか逃げたいという気持ちもさらさらなく、スリルとサスペンスに富んだ状況でした。
2012年のWN社は設立して6年が経過。多少の問題はあったとしても、ジャパンフーズ社との出会いにより、設立時の混乱から脱出し、WN社は確実に前進していく訳です。

そのような意味では2012年の出来事は相変わらず中国ビジネスが刺激的ですので、次回より中国ビジネスを中心に掲載したいと思います。

(次回に続く)

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