代表取締役 湯川 剛

「山東省の若き経営者」(第400回)で伝えましたが、「脱天然社」に向けて新たな販路を構築する為に、私は劉岩董事長と手を組む予定でした。しかし結果的に実現しなかったのは、金鋭氏そして他の代理店との関係性が影響しました。この「他の代理店」の中にシンセン越健集団、すなわち金岩董事長の存在があったからです。
金岩董事長は金鋭氏の実妹、つまり金鋭氏と金岩董事長は実の兄妹でした。

金鋭氏はご承知のように私を「中国に輸入」した男です。「兄弟」と互いを呼び合う仲で、金鋭氏のご子息を欧愛水基に預かった事もあります。金岩董事長以外に妹さんがもう一人おり、マカオテレビ局董事長の奥様でした。金鋭氏のご両親宅にも何度か訪問した事があり、いわゆる金一族との交流もあります。そのような関係から必然的に「脱天然社」以降の新たな販路は金鋭氏との合流となりました。国家体育局や中国保健協会との関係や、天然社との訴訟問題の解決に金鋭氏は「兄弟」としての立場で協力してくれました。

私は元来「企業と個人との関係は別である」という考えの持ち主です。そういう意味では天然社を離脱した金鋭氏との関係も、公私を区別していました。しかし天然社との取引がなくなると、金鋭氏と合流する形へと自然と流れが出来ていきました。とはいえ私自身、金鋭氏が天然離脱後にかつての部下である代理店に対して取った行為に関しては評価していません。金鋭氏は出来上がっている大きな組織の中で輝く人物です。逆に基礎から組織を構築していく事には少し不得意でした。

私はそのような状況下、欧愛水基の第2の船出を決めました。
天然社との取引消滅した事に伴い、販売分野を担っていた天然社に代わって、珠海に珠海欧愛水基を総発売元として出航させる事にしました。珠海には天然社の本社があり、そして金鋭氏の地元です。生産分野は従来通り蘇州の蘇州欧愛水基が担い、販売分野は珠海の珠海欧愛水基が総発売元として担うという03年当時とは様変わりした船出でした。

300の代理店は既にバラバラで、親金鋭派・反金鋭派に分裂していました。OSG製品を輸入した03年当時のような一枚岩となった代理店ではありません。金鋭氏も何とか珠海欧愛水基を拡大し、かつての天然時代のような実績を挙げようと努力してくれました。

その間、シンセン越健集団はどの代理店よりも頑張ってくれました。
親金鋭派代理店も頑張ってくれました。金鋭氏はアイディアマンなので、従来の販売手法以外にもいろいろな工夫を取り入れていました。しかし実態との乖離があり、思う程の実績にはつながりませんでした。それはまるで片翼の鳥の如く、かつてのように大空を舞い上がる事は出来ませんでした。

「生産は蘇州欧愛水基」「販売は珠海欧愛水基」の2社間は従来の「生産は欧愛水基」「販売は天然社」のような訳には行かなくなり、むしろ代理店から見れば珠海欧愛水基の存在は単に中間搾取しているようにしか見えなくなりました。

そんな珠海欧愛水基は、再び輝くのか。それとも更なる試練が待ち受けるのか・・・。

珠海欧愛水基の行方の話をする前に、次回より創立40周年を迎える日本のOSGについて11年当時のお話をした後に、改めて中国珠海欧愛水基の出来事をお話ししたいと思います。

(次回に続く)

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