代表取締役 湯川 剛

本所社長ら、幹部の方が部屋に入ってこられ
「湯川さん、分かりました。やりましょう」

ここまでの一つ一つの場面を今も明確に覚えています。
しかし、どのようにして車を運転して帰ったのか、それ以降の記憶が全くないのです。

その日の夕刻、私は大阪本社にいました。
そしてJF社へ謝罪とお礼の手紙を書きました。
「本所社長様 全社員の皆様」と書いた記憶があります。
今回の不具合による事への謝罪ともう一度チャンスを頂いた事へのお礼を書きました。
その日の内に手紙を投函しました。

翌日の新聞に「大手商社が水事業に参入」という記事が掲載されていました。たぶん日本経済新聞だったと思います。その記事を見て私は、すぐさま本所社長に電話をしました。
電話の内容は「今朝の新聞を見られましたか」と大手商社が水事業に参入する記事を説明しました。当然、本所社長はご存知でした。そこで私は「昨日提案した株式の倍の株式を持って欲しい」と言いました。例えていうなら100株で決まっていたにも関わらず200株を持って欲しいと言っている訳です。本所社長は呆れ返ったのか、それとも私の提案をビジネスマンとして受け取られたのかは分かりませんが、冷静に「検討します」と拒否だけはされませんでした。その後のJF社の対応は早かったです。
「湯川さん、了解しました。持ちましょう」「本所社長、ありがとうございます」

この日から証券会社は慌ただしく2社間の連絡を取り、資本提携の準備に取り掛かりました。ゲームで例えるなら、ゲームオーバーであったのがリセットされた感じでしょうか。(私はゲームをしませんので表現は間違っているかもしれません)

「湯川さん、了解しました。持ちましょう」「本所社長、ありがとうございます」の日から約3週間後の3月30日。
OSGとJF社とは、資金業務提携の調印式を執り行われました。
30日の夕刻、皇居が見えるフランスレストランに本所社長が私と溝端社長を招待してくれました。謝罪の後に行ったイタリアレストランでの食事はなかなか味わえなかったのですが、この日はゆっくりと味わう事が出来ました。

本所社長の決断が更なるWN(ウォーターネット)の体質強化につながっていく訳です。すなわちWNにJF社(ジャパンフーズ)が加わった事で後々のWNに大きな戦力をもたらしてくれました。それは品質管理のプロとして、WNは鍛えられていく訳です。更にその数年後、JF社の飛車角と言われる飯沢専務と内田専務がWNビジネスに大きな影響を与えてくれました。

3月30日の資本・業務提携から約1年後の2010年4月6日にJF社の工場内にWNプラントのオープンセレモニーが開催されました。WNとしては7か所目のプラントです。従来より更に最高の設備と最高の品質管理にて、業界屈指のプラントがJF社工場内で稼働されました。

私は見学通路の窓越しにプラントを見て「ウォーターネットの製品水」がコンベアーに乗せられて出てくる光景を見ながらいろいろな人達の温かな思いとこの仕事に賭ける思いがこの一場面を作ったのだなと思いました。

歳月は流れます。
JF社プラントのオープンセレモニーから更に3年6か月の歳月が流れた2013年10月16日に品川プリンスホテルにて「第7回 WNオーナー会」が開催されました。
この日のオーナー会の特別講師に、私は丹羽宇一郎氏(元 伊藤忠商事 会長)をお招きしました。

ご存知のように丹羽宇一郎氏は、伊藤忠商事会長を経て2010年、民間人初の中国大使を務められました。議題は「中国経済と日本経済の将来展望」での講演です。
私はJF社との出会いからいろいろな思いを巡らしながら感慨深い気持ちで丹羽氏のお話を聞いていました。話は中国経済や日本経済についてでありましたが、講演の中で丹羽会長が語られた「これからは水の時代だ」の個所では目が潤む気持ちでした。

「丹羽会長。丹羽会長の〝これからは水の時代〟と言った言葉が私を押し進めたのです」

(次回に続く)

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