代表取締役 湯川 剛

会長就任当時、「社長」と呼ばれるとついつい反射的に振り向いてしまう事がありました。
「溝端社長」と呼ばれたならば、もちろん反応する事はありません。
同じく「会長」と呼ばれても、自分の事だと気づかない事も就任直後にはありました。
また社員さんも同様で、「湯川会長」というべきところを「湯川社長」と呼んでしまう事があり、お互い少しの期間、肩書きに不慣れな時がありました。
お客様もそうです。私を「湯川社長」と呼ぶ事が多く、さすがに「私は社長でなく会長です」とは、なかなか言いにくいので、そのまま会話を続けたものでした。

「湯川社長時代には、こんな事があって楽しかった」といった類の発言を耳にすると、私は厳しく注意します。特に勤続年数の長い社員さん程、要注意です。単に昔をなつかしんでいるような話題であれば問題ないのですが、私の社長時代と新社長との比較や不満を含んだ内容であれば、その場で即刻訂正させ、「今後、私の前や他の社員さん達の前で、そのような話は二度と言ってはならない」と釘を挿す必要があります。年齢もキャリアも違う上、特に私のような個性の強い創業者の後を引き継ぐ溝端社長の立場を思うと、その大変さは想像以上でプレッシャーは計り知れないでしょう。どこの会社でも新社長と元社長との比較はたぶんあると思いますが、私はそのような発言を徹底して許しませんでした。
勿論「新社長の方が、意見が通りやすい」等、新社長を評価する発言ならOKです。

こうして社長交代から数ヶ月、お互い不慣れではありましたが徐々に「湯川会長」が社内外に浸透していきました。
さて今回からは社長にバトンタッチした07年の株主総会後、私が会長になってからの話です。

会長就任後、未来ビジネスの水宅配ビジネスと中国ビジネスを中心に特化する事になり、少し気持ちの余裕が出てきました。そこで私は前々から気にしながらも放置状態にあった2つの事に取り組む決意をしました。1つはボランティア活動です。以前にも登場していますが、公益社団法人アジア協会アジア友の会(略、JAFS)での活動です。
もう1つは、私の不健康な体重への取り組みです。
よく言われるところの料理を目の前にすると「明日から減量!タイプ」ですので、これまでなかなか減量活動に至りませんでした。気になりながらも、お客様や社員さん達との食事を優先してしまっていました。私にとって「食事」は大事なコミュニケーションの機会なのです。だから「体重が増えたので今日は食事を抜こう」と思っても、お客様や社員さんと出会うとついつい「メシでも行こうか」となってしまうのです。
想像してもらえないかも知れませんが、私ひとりでの食事の場合は非常に質素粗食です。
しかしお客様や社員さんとの食事となると、そうもいきません。ましてや中国に行くと、毎日がまるで宴会のようで、心からのもてなしとして中国のお客様は、昼・夜と接待してくれます。円卓に料理が次々運ばれ、勿論それらは全て油まみれの中華料理です。そこで私も他の人の半分程度に抑えておけばいいのでしょうが、そうすると接待する側は「おいしくありませんか」と心配される為、むしろ他の人の倍程も食べます。このままではいけないと考えていましたが、この減量作戦に着手するに至るのは、会長就任後1年以上経ってからの事でした。この話は後日にするとして、今回はボランティア活動に話題を戻します。

07年11月、JAFSの理事交流会に久しぶりに出席しました。その時、専務理事から「湯川理事が理事会に来られた時に渡したかった」と言って私に1冊の本を渡されました。この1冊の本が、その後私の10年間の人生計画の一角を占めるとはその時、思っていませんでした。


(次回に続く)

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