代表取締役 湯川 剛

2005年4月に入りました。
この年の4月の言葉は「もっと学ぶ(謙虚)好きになる(情熱)諦めない(信念)」です。
OSGには「月間テーマ」という制度があり、今では各部署で掲げていますが当時は会社全体で「月間テーマ」を掲げていました。05年4月のテーマはその当時の置かれている立場・状況を物語っているところがあって、この言葉を掲げたのだと思います。

4月1日よりOSGでの取引先である大手商社大友商事(仮名)より営業本部長が就任しました。
当時、営業本部長を兼任していた私自身が中国事業と水宅配事業に特化していた事もあり、本業が少し疎かになる事を懸念して大友商事に人材を頼んでいました。出来ればOSG担当の水澤部長(仮名)を指名しました。外部からであってもOSGの事をこの数年間見て頂き、多少理解して頂いている事が理由です。
水澤部長は英語が堪能だという事もあり、将来のOSGが「世界マーケット」を狙う為に必要だと判断しましたが、結果的にはこの人事は成功しませんでした。勿論、彼自身の問題ではなく私自身の判断ミスで起こった事です。大手企業は何よりも人材が豊富で組織で動く事で成り立っている訳ですが、当時のOSGはまだまだ中小企業の域を出ず、後々現場を混乱させる原因となりました。彼自身も責任感の強い人で、それだけに大変な迷惑をかけた事は事実です。

さて、前回の「実は・・・」の続きは次々回に掲載予定。今回は水宅配事業の話をします。

「ライバル社になったアタックが旧アクアCジャパンの代理店を次々引き抜いている。たぶん首都圏加盟店もアタックに引き抜かれるかもしれないので、是非OSGで引き継いで欲しい」そのような理由により、数ヶ月に亘って新アクアCより協力を求められました。
赤澤社長とも面談し、引き継ぐ方向で決めました。
7日の午後に中谷アクアC本部長(仮名)と待ち合わせて、その首都圏加盟店社長と面談しました。辞める理由は本業に特化したいとの事で、社長はズバリ新アクアCが引き継がなければアタックに行くだけとはっきり明示。同席している中谷アクアC本部長は困った顔をしていましたので「引き継ぐ事を前提でお話しましょう」とその日の面談を終わりました。その日の夕方に馬場社長と会い、「今後、OSGがプラントを開発した場合は、そのプラントを使用しても構わない」という話になり、首都圏加盟店の譲渡が決定されました。
事態は動き出します。10日日曜日の夜に大阪都ホテルにて高山アクアC大阪支社長と面談。首都圏加盟店の譲渡金額も提示されました。

話を4日前に戻します。
4月6日に旧アクアCジャパンの管財人アドバイザーである小早川代表より在庫を引き取って欲しいとの話から「アクアCブランドを守らなければならない」という気持ちから引き取る方向で話を進めていましたが、小早川代表との面談で充填機などプラント関連が30セットもある事を知り、驚きました。
9日に小早川代表の社員が引取金額を明示され、購入してもすぐに使用しない場合、年間にかかる倉庫料も提示され、改めて考えている以上にコストがかさむ事を知りました。首都圏加盟店の譲渡金や在庫引取金額等、相当額の資金を準備しなくてはなりませんでした。しかし将来の投資としてやる時はやる!の気持ちで役員達を説得しました。

中国ビジネスと水宅配ビジネスの狭間で海外代理店とのお付き合いもしなくてはなりません。私は11日、関空発台北行きの飛行機に乗り、12日には韓国仁川空港にいました。
台北では水宅配に必要なサーバーメーカーとの情報収集を行ない、ソウルでは韓国代理店日西製薬に新営業本部長を紹介する為の訪韓でした。中国事業に専念する余り、韓国代理店に対して特にトップコミュニケーションを取っていない事もあり、わずかな時間を割いてその事に気を配りました。
3泊4日の海外出張を終えた私は14日に関空からそのままアクアCの吹田にあるプラントを見学し、プラントで何が問題なのかを日が暮れるまで担当者と話し合いました。
「アクアCにOSGさんが加盟してくれた事に感謝している。アタックとの加盟店争奪が現在の我々の気持ちを暗くさせています。それだけに勇気も貰いました」と担当者はOSGの加盟を大歓迎するように満面の笑顔で話していました。

ただ、同席したアクアCの中田支店長(仮名)が私に何か言いたそうな顔をしていたのが、少し気になりました。

(次回に続く)

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