代表取締役 湯川 剛

OSGは毎年12月28日が仕事納め。翌29日に幹部会議があり、全ての業務が終了となります。2002年12月29日は日曜日でしたが、幹部会議は曜日に関係なく行ないました。

この日の最終幹部会議は冴えない気持ちで幹部全員が参加していました。決算を1ヶ月残し、12月までの売上予算が予定通りにいかないまま、2日を残して終わりました。

創業時には12月31日、年末ギリギリまで仕事をしていました。
大阪の東方面に位置する八尾市に、若草団地での思い出です。今もあるのでしょうか。
大晦日、奥さんのおせち料理作りの邪魔にならないよう、台所の片隅でカートリッジの交換をした事を今でも鮮明に記憶しています。
外が寒かったせいか、料理の湯気が立ちこめた室内が大変暖かだった事も覚えています。
「にいちゃんらも大変やね。新しいカートリッジでお正月を迎えたいから、連絡したの。ごめんね。今日は紅白歌合戦までには家に帰れるの?」と言われました。当時は1円でも多く売上がほしいので、大変だというより有難いという気持ちの方が勝っていました。懐かしい話です。

1970年の創業当時には大晦日まで働いていましたが、30年を経て2002年の年末も会社の規模や制度等、大きく異なりましたが、仕事に取り組む気持ちは当時と何ら変わっていません。

さて、2002年の年末に話を戻します。
OSGのビジネスモデルの場合では、残り1ヶ月で大きく実績を取り戻す事は決して不可能ではありません。翌月の決算月1月に回復出来るかもしれないと淡い期待もありましたが、厳しい数字が今年最後の幹部会議を支配していました。

売上予算の未達原因を列挙すれば、いろいろあります。しかし、突き詰めると最大の原因は経営者である私自身に行き着くのです。
第3四半期を終えたところで営業不振が明確になりました。現場が苦しくなると、私は本社で指揮を執る事よりも、自ら現場に入って指揮を執る事を優先し、そうして今までは乗り切って来ました。戦場で本陣に座って指揮を執るのではなく、まさに合戦最前線のド真中にいて、馬上で指揮を執る。そんなスタイルでやってきたのです。
「社長 兼 営業本部長」として、何度も低迷の淵から這い上がってきました。

OSGの強みはトップと現場が近いという事です。例え上場会社となったとしても、トップがいつでも現場に下りる強みがあり、今でもその社風は変わっていません。関西で有名なMKタクシーの青木会長は月に1度、タクシードライバーとなって現場に出るという話を聞きました。

私が今も忘れられない出来事があります。それは九州にある農機具会社の販売企画です。
近年にない大掛かりな販売企画でした。自ら先頭に立って指揮を執ってこの販売が予定通りいけば、今期の目標達成はいけそうでした。

しかし上手くいかない時は空回りするものです。1月決算の最後の一発逆転の起死回生を狙って、年末年始からキャンペーンを行なっていました。1月5日のK農機具会社の社員総参加決起大会にはプロレスラーの蝶野選手や福岡の地元出身の獣神ライガー選手がゲストで参加してくれましたが、残念ながら予定通りの数字が出ませんでした。

私は幹部会議が終了した夜。
「もし、今期予算が未達であった場合、形あるもので責任を取ろう」
私は一つのけじめとして、「来期の給与返上」を自ら決断しました。
「給与返上」という自らの身を切る痛みと緊張感で自縄自縛し、来期に挑もうと思いました。
勿論、私はこの体験を如何にプラスに持っていくかも、同時に考えました。

自らに課した決意が来期に大きく飛躍するとは、もちろんその時は分かりませんでした。
そんな2002年が終わろうとしていました。

(次回に続く)

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