代表取締役 湯川 剛

2002年6月に入りました。
6月も相変わらずIR活動に時間を取られていました。
当時は、5月31日より日韓開催のワールドカップが開催され、盛り上がっていました。

話は5月末に戻します。
そんなワールドカップの話題すら関心のないK氏が、5月末に私の前に現れました。 彼こそが私に浄水器ビジネスのきっかけを教えてくれたと同時に、創立当時の私は彼によって相当苦しめられました。(第21回〜31回/40回に詳しく掲載)
K氏が私を苦境に追い込んだとしても、やはり浄水器ビジネスのきっかけを教えてくれた事に対して、恩義は感じていました。だから連絡があれば時間の許す限り会うことにしていました。今回のK氏の話によると倒産後、彼はひとりで中国に渡り、中国市場向けの浄水器の製造を、中国企業に売り込んでいるとの事でした。

誰から教えられたのか、忘れましたが、当時の日記にデラシネ(根無し草)企業という言葉が書いてありました。そこには企業理念や企業のマネジメントなどの根本を忘れている経営や企業になってはいけないとの事です。
K氏と再会した日に書かれていましたので、彼自身が言ったのか、何故日記に書いてあるのか、今では不明ですが、残念ながら倒産したK氏のW社はまさにデラシネ企業といわれても仕方なく、私はK氏やW社を反面教師として経営してきました。

さて、久しぶりに会ったK氏は私に「よく上場が出来たな。私にとっても自慢の話だ。」
「中国市場に出ないか。また私の知り合いの工場で製品を作らないか」
「中国で若い夫婦が頑張っている工場が最近出来たので、協力してあげられないか」がK氏の主な話でした。
私が時々幹部に「K氏とのいきさつ」を話していたので、それを聞いていた古くからの幹部は今回の再会に快く思っていませんでした。また騙されるのではないかとか、上場が出来たから近づいてくるのだと私に対し、心配してくれていました。
しかし私はけっして豊かでないK氏の現状を見るにつけ、K氏からの話をむげに突き放すことはどうしても出来ませんでした。
心配してくれる幹部に「第5次4カ年計画の目的は大きく2つ。ひとつは国境を越えない企業は生き残れない。だから、この4年間で海外進出を考えなければならない。もうひとつは現在の事業だけでは売上拡大を望む事は難しい。だから事業領域を広げるのはこの4年間の目的。K氏からの話だからダメという発想ではなく、中国の工場を勉強に行くのは、けっして無駄ではない。」と苦し紛れの言い訳で、K氏がいう工場を見学に行く事を決定しました」。
後日、K氏に電話で話した所、大変喜び、6月23日成田から2泊3日のスケジュールで上海へ飛びました。

この2泊3日の工場視察は、OSGの海外進出に後々、大きなカギとなってくるのでした。

(次回に続く)

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