代表取締役 湯川 剛

私の投資会社訪問が終わったのを見計らったように、携帯電話が鳴りました。
私は電話を握り締め、思わず大きな声で「そんなバカな!」と叫びました。

初めての体験であった投資会社へのプレゼンテーションは1週間を終えようとしていました。その最後の金曜日の7月27日の夕方。予想していたより楽しいプレゼンテーションに気を良くしていた私は、電話の内容を聞き、全身が硬直しました。

「なに? 調停が流れた?」
旧オムコの元O会長との間では事前にまとまっていた、工場購入等の案件に対し、突然「捺印できない」と言いだし、調停が流れたとの事でした。
結果的に、この日の調停は中止となり、8月2日に改めて行なう事になったというのです。

主幹事会社の見解では、恐らく7月17日の日経新聞で「日証協・店頭上場を承認」を知り、O会長は邪魔をしようとしたのではないかとの事でした。
私にとってこれは予想外の問題でした。
しかも主幹事会社の話によると、このような問題が生じたケースでの上場は、正直なところ厳しいものがあるというので、私は驚いたのです。
上場に必要不可欠な予算の達成等は予定通り進捗しているのに、今更「上場出来ない」と言われても合点がいきません。それならば何故、もっと早い段階でアドバイスしてくれなかったのかと、私は血が逆流する思いで、主幹事会社の担当者に詰め寄りながら、「まさか、これがあの承認されても上場決定ではないという事なのか」と、臍を噛む思いでした。何より、想像もしていなかった事だったからです。

今後のスケジュールとしては、
7月31日   発行条件に関する取締役会決議
8月 1日   新株発行商法公告・募集案内広告
と、予定されているのにいったいどうすればいいのか。

7月30日夜、主幹事会社から電話が入りました。
「このままでは株式公開が危ない。予定日には難しいかもしれない。」というので、私は
「では少し予定日を延期すればどうか」と言いました。すると
「上場予定日を延期する事は不可能ではないが、今までの経験上、延期後に上場が実現される可能性は正直、低い。だから延期は極力避けたい。」それが、主幹事会社の回答でした。

「上場会社とは、発表した事を予定通りに実現する事が条件」
「想定外の問題や不測の事態に遭遇したとしても軌道修正し、予定通りに進められる事が上場会社には求められる。ここが重要な事だ」と重ねて強く念押しされ、電話は切れました。

翌31日、午前中に今後のスケジュールの見直しを行なうとの事で、連絡を待ちました。
結果的には「とにかく予定通り、8月23日に上場予定日として準備をしますが、それもこれも8月2日次第。勿論、8月2日がダメな場合は覚悟しなければならない」との事でした。

「難しい。滅茶苦茶だ。あんなひどい人は見た事がない」
調停に出席していた当社の顧問弁護士もO会長を非難しました。
「湯川社長がオムコを救済したから、社員さんも業者の人も、そして販売していた人も助かり、O会長も当初は喜んでいたのに。人間は分からない。」
どんな事情であれ、このままでは全てのスケジュールは狂い、上場予定日の8月23日も幻となってしまうかもしれないのです。

全ては8月2日午後4時の結果次第。
はたして人間はわずか5日間で変わるのだろうか…。

8月2日に運命が託されました。

 

【後記】
OSGでは毎週月曜日朝7時30分に幹部・管理職、約100名のテレビ・電話会議で新しい1週間を迎えます。そして今週の月曜日は、2013年11月11日。

「本日は皆さんご存知のように決起の日です。創立記念日と同じくらいにOSGにとって重要な記念日です。今からちょうど34年前の今日、1979年11月11日に私達は第2次5カ年計画を発表し、この11月11日を決起の日または挑戦の日と決めました。毎年11月11日を迎えるにあたり、挑戦する気持ちを新たにしましょう。」と挨拶しました。

そして私は、改めて幹部・管理職の皆さんに「決起の日」についての説明をしました。
わざわざ「決起の日」を記念日にする位、大変な目標でした。(詳しくは第66・67回掲載)
最後に「過去の先輩達からの頑張ったおかげで今日の我が社がある。だからまだ見ぬ未来の後輩達に現在の私達も頑張ろう」と締めくくりました。

この日の私のスケジュールは、朝から7名の社長さんとの面談予定が入っていました。
私より年上の社長が2名。あとは20歳離れた40代の社長さん達でした。
それぞれの社長さんは個性的で、それがその会社の姿でもありました。
夜は全日本理美容選手権大会前夜祭に、ある社長さんから招待され参加しました。
そこで手渡された資料を読んでいると、今朝、私が幹部・管理職の皆さんに話した言葉が思い出されました。それは・・・。

「・・・34年前と言えば、私は32歳。仮の話だがもし66歳の私が32歳の私から目標設定の相談を受けたならば、恐らく難しいのではないかと言ったかもしれない。それ位、無謀と言える程の高い目標設定でした。」決起の日の由縁を、私はそんな言葉で説明しました。

さて、前夜祭で渡された資料の中に、有名なサミュエル・ウルマンの「青春」の全文が掲載されていました。全文は割愛しますが、最初に有名な
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、生命(いのち)の様相を言うのだ。」と始まります。
そして
「人は、信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は、自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く   失望と共に老い朽ちる。」という箇所がありました。

何故私は、よりにもよって「66歳の私は32歳の私に、恐らく難しいのではないかと言ったかもしれない」と言ったのだろうか。何故、66歳の私でも「やるべし」と言わなかったのだろうか。
よし、来年の11月11日にはそのように言おう。(来年の11月11日は月曜日かな?)

「決起の日」が終わろうとしている11月11日に、改めて歳を重ねても反省すべき事、挑戦すべき事が日々あるなと思いました。

(次回に続く)

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