代表取締役 湯川 剛

新大阪駅でのいわゆる「千成びょうたん前の土下座」は、実績のなさ・信用のなさから、社会の厳しさをまざまざと知らされた経験でした。信用のない者にお金を貸さないのは当たり前の事です。保証人になって貰う事も至難の業だという事です。「実績があれば、他人は湯川君の話を聞く」と、かつてアルバイト先で言われた喫茶店の社長の話が、身にしみて解かりました。

人なし、金なし、物なし、そして信用なし、実績なしの「無し」づくしでありましたが、その年の瀬は、金はなくてもそれ程落ち込んではいませんでした。多分、「無し」づくしの分を補うだけの夢あり、目標あり、希望あり、そして三愛精神の理念ありで、ささやかな忘年会もしました。若さの強みでしょうか、夢がマイナスの全てを飲み込んでしまう訳です。

1971年。新年を迎え、さぁやるぞ!と思っていた矢先の2月に、化粧品の総発売元が倒産。我社にとっては、あっけない実質6ヶ月間の化粧品業務でした。

さて、売る品物がないが、会社は何としても存続させたい、そんな悩ましい日々が続いた時、以前の職場でお世話になった福原さんという方が、1つの商品を持って来られました。
「湯川君、君は以前から水俣病など公害問題に関心があると言っていたな。今日そういう君に合うかどうかわからないが、1つの商品を持ってきたよ」との事で、私の前に紙袋を突き出しました。

当時の私は公害問題に関心があるというより、身障者の方に関心がありました。私が通勤等で乗り降りするのが近鉄線山本駅。そこで毎朝、障害を持たれた子供さんの車椅子を介助されるお母さん方を見て、「大変だな」と思ったことがきっかけでした。それ以来、公害問題の被害者、例えば水俣病の患者さんのニュース等を見るにつけ、怒りと悲しみで度々話した事があり、それを福原さんが「湯川は公害問題に関心がある」と思われたのでしょう。

さぁ、これだ!と言って突き出された紙袋の中を見ると、ホースがついてあり、その先には継ぎ手のようなものがあり、片方の先には円筒のようなものがあって、つる首のような蛇口がついていました。・・・「ナニ、これ?」

「ナニ、これ」といぶかしげに見た商品こそ、私の人生を35年間導いた商品、浄水器との出会いの瞬間でありました。

(次回に続く)

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