代表取締役 湯川 剛

2001年2月。日興証券引受部へ2月初旬に提出する予定であった「登録申請の為の有価証券報告書」「登録申請の為の報告書」の作成が進んでおらず、監査法人トーマツの先生方のご協力を頂き、2月10日(土)11日(日)12日(振替休日)の3連休を使って資料作成を進める事になりました。
ところが10日・11日は、キャスト・メンテナンス業務の合宿が予定されておりバッティング。スケジュールの変更を検討してみましたが、指導をして下さる監査法人トーマツ側の日程の他、私自身のスケジュールも変更出来る状況ではなかった為、私は同日2つを掛け持ちする事にしました。合宿をしている本社8階と監査法人トーマツの先生方と株式公開準備チームが詰める5階を、行ったり来たりする有様です。

しかもこの時、私は誰にも相談出来ない重要な問題を抱えていました。
私は今までどんなに難解な問題と遭遇しても、決して逃げる事無く闘って来ました。
しかしこの時の問題は、私がそれまでに経験したことのないもので、「株式公開」を人質に取るような卑劣なものに思えました。今から考えれば、そんな事で「株式公開が出来る、出来ない」とは何の関係もありません。
証券会社によると、公開前の企業ではそのような問題が数えない切れない程あり、中には「公開をする」という企業のプレッシャーを利用する悪質なものもあるとの事でした。

しかし当時の私は、公開に対する知識が未熟であった為に必要以上に問題視していたのかも知れません。抱えている問題が私一人の痛みで終わる問題ではなく、社員さん全員に迷惑を掛けるかもしれないと思うと、鉛でも飲み込んだかのように今まで経験した事もない重苦し気持ちだった事を覚えています。

私は過去に一度だけ、創立当時に土下座をした事があります。
資金繰りが立ち行かなくなり、ある人に保証人になって貰おうとお願いに行ったのですが、どうしても聞き入れて頂けず、その人が東京出張に行く新大阪の駅で土下座したのです。
私は人生で二度目の土下座をしました。土下座しながら、この試練を必ず生かそうと思いました。私は立場柄、多くのものを背負っています。
「人はそれぞれ他人には言えない事情を抱えながら、平然とした顔をして生きているものだ」以前、ある住職に教わった事をふと思い出しました。
例え理不尽であれ、忍ぶ時は忍び、耐える時は耐えてでも乗り切らなければならない。
この時の事も、私にとっては一つの教訓となっています。

2月の3連休。そんな状況下に行なわれた合宿と勉強会でした。
8階の合宿の様子を伺い、また5階の監査法人との勉強会に戻る。8階と5階の間を階段で繰り返し往復する忙しさが、重苦しい気持ちを少しは軽減してくれたのかもしれません。

忙しかったのは、私だけではありません。株式公開準備チームにとっても慌しい3日間でした。3連休最終日の12日の夕方5時。日興証券引受部へ提出する資料を佐川急便が受け取りにくる事になっていました。何としてもその集荷期限までに資料を仕上げなければなりません。
この3日間は時計を横目で見ながらの作業でした。
ところが何とした事か、途中でパソコンが動かなくなりました。その上、プリントアウトしてもきっちり印刷されない!アクシデント続出です。
「どうなっとるのだ!」
3日目は朝から大混乱でした。パソコンの得意な社員さん宅に連絡を入れ、何とか対応して貰うしかありませんでした。
資料が欠落しまとまっていない。パソコンが動かない。プリントアウトされない。
アクシデントに見舞われながらの4時28分。株式公開チームのメンバーから「完成しました」という声を聞いたちょうどその時、入口のインターフォンから「佐川急便です」との声。
株式公開チームメンバーからは安堵の声がもれ、誰かれとなく「やったぁ〜」「ご苦労様」「ありがとう」と、笑顔で握手を交わし、3日間の大激務が終わりました。
その時の私は、心も頭も空っぽでした。

それから2日後の2月14日、バレンタインデーの夕方の事。
日興証券から思わぬ連絡が入りました。

(次回に続く)

ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp