代表取締役 湯川 剛

私は長い間、年末年始を私なりの「儀式」をもって過ごしています。
12月31日に紅白歌合戦の結果を知る前に家を出て、地元のお寺で除夜の鐘を打ち、0時までに近くの神社に行って0時の太鼓の合図と共にお賽銭を投げ、新年の祈願をする訳です。
その後、帰宅し仏前で般若心経を唱えて先祖に新年の挨拶をしてから就寝します。
これは四半世紀以上も続けていますので、私の生活習慣になっています。

2000年ミレニアムは21世紀の始まりではなく、20世紀最後の年です。
しかし新世紀の始まりのような気持ちもあり、例年になく私の「年末年始の儀式」は気合が入っていました。

1月4日、仕事始めです。
第30期最後の決算月でもあり、オムコ再建引受けの手続きもあり、あらゆる面で私は超多忙な2000年のスタートを切りました。
取引先銀行の年始の挨拶から取引先の賀詞交換など、例年の1月の行事以外に相変わらず年の初めの他社からの社員教育の依頼、更に環境ISOの認証取得の最終審査や昨年中に幹部社員のお嬢さんのハワイの挙式参加を約束していた事もあり、12月中に立てたスケジュールはオムコ案件で全て狂いました。

買収における法的な問題から弁護士事務所との打ち合わせやオムコ社員さんとのミーティング、部品提供など協力関係者向けの説明会に更に、販売店向け説明会が大阪会場・東京会場と2ヶ所に分けて行ない、1ヶ月の内にオムコ案件で15日間を費やしました。

予測していた通りいろいろな思惑がそれぞれの立場にあり、創業者家や債権者、それに金融関係などいろいろな問題が立ちはだかって前に思うように進みません。更に困った事に経営陣が兄弟で対立をし、いわゆる兄派と弟派に分れて、それに合わせるように社員さんや部品業者までもが2派に分かれている感じです。決算月でもあるので契約日を2月1日として1月中に整理すべき事は何としても行い、いろいろな問題があるにせよ、前進しようと思いました。

私が学生であったので詳しい事はわかりませんが、たぶん父親の会社が倒産した時にも、こんなゴタゴタがあったのかと、改めてこういう場面に出会う度に思う訳です。困った事に倒産の原因の全ては、自分ではなく第三者にあると責任転嫁している事です。経営者は売上低下の原因を社員の責任に押し付け、社員は経営者や不具合を提供した部品業者を批判し、部品業者は経営陣の怠慢経営を誹謗し、社内においては生産部が営業部、そして営業部が生産部に責任を押し付けているような感じです。

「こら〜ッ!いい加減にしろ!」と心の中で叫ぶ気持ちと、まぁまぁこんなもんだろうという気持ちが交差しながら、弁護士事務所で何度も打ち合わせをする日々が続きました。

私の当時の日記には「知識は判断する力であり、根気は実行する力である」と書いているのは、誤った判断をせず、いろいろな人の意見を聞き、自分自身がまとめなければ全てのものが空中分解するのではないかと、その為には我慢が必要だという意味で書いたのだと思います。
やるかやらないかと随分迷いに迷った末に決断し、資金を準備し、多くの人々に少なくとも不安からの脱却をさせようと思っているのに、何故、二派に分かれて揉めているのか。
自分が我慢しなければならないのかと、腹立たしさを超えて可笑しくなりました。

心の拠り所は、このような問題を解決したその先には、大きな夢がある。
そういう希望があるからこそ出来るのだと、改めて「希望」とは強い力だなと思いました。

それにしてもふざけた人達ばかりだ(笑)

(次回に続く)

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