代表取締役 湯川 剛

1996年の年が明けました。あの阪神大震災からはや1年が経とうとしています。毎年、社員の皆さんには大変苦労をかけていますが、昨年の1年間は特に頑張って貰いました。

そこで10周年・15周年・20周年(21周年)の記念式典は、販売店様やお客様と共に行なったのですが、25周年については社員さんと社員の家族の皆さんだけでの記念式典をやろうと95年の夏より計画していました。

「25周年はお客様をご招待しないで、社内だけで行なう。」
95年の秋頃、それまでに考えた自分の案を幹部達に伝えたところ、反応は賛否両論さまざまといった雰囲気でしたが、「ハワイでやる」告げた途端、その場にいた全員が一瞬息を殺したような静けさの後、それはすぐに歓声に変わりました。賛否両論であった雰囲気は一瞬で賛成一色に変化した訳です。いい加減なものです。

この日の会議では、社員さんやパートの皆さんは全員参加だが、ハワイでの期間中の留守において販売店様やお客様にはご迷惑をかけない事を主な課題として話し合う予定でした。
ところがそれよりもハワイで何をするかに話題は終始しました。
話し合う社員さん達の目の輝きを見ていると、私も無条件に嬉しくなり、脱線していく話をそのままにしました。

OSGの社風に相応しいものとして、日中はビーチで運動会をやる事、また夜の部は部署別パフォーマンス競技や大抽選会などを行なうパーティーが大筋決まりました。
日程は、決算終了後の2月に行なう事にしました。しかし、問題は期間中にお客様にご迷惑をかけない事。すなわち「留守にせず」且つ「全員参加」という方向での日程調整でした。

イヤな計画ならダラダラして一向に進まないようなことでも、今回は幹部全員のテンションが高いのか、サッサと計画を決めてしまいました。内容は、3チームに分かれていくという事です。すなわち第1弾チームはホノルル最終日、第3弾チームはホノルル到着日をイベントの日として、あとは日曜日を活用すればお客様には迷惑はかからないスケジュールになるという結果になりました。誰がどのチームに入るかは別にして、とにかく全員でハワイに集まり、25周年のイベントをやる事に話は大いに盛り上がりました。

式典の名前は「25th・OSGスポーツinハワイ」と名づけられました。

何故、ハワイが式典の候補地になったのかは、私の若き日の行動の原点がハワイにあった事と無関係ではありませんでした。(第4回参照)
かつて父親が倒産し、その借金を背負わされる事への反発や大学進学を断念するモヤモヤとした当時の私がいました。そんな状況から逃げるように旅立ったハワイへの逃避行。もしあの時姉から貰ったチケットが仮にシドニーであれば、シドニーで式典を計画し、シンガポールであればシンガポールが候補地になったと思います。

当時の私の判断の良し悪しは別にして、初の海外がハワイであり、行動の原点がハワイである事は間違いのない事実です。1人でハワイに行った時から30年を経てパートさんも含めて約200名の社員さんとこの地で創立祭を行なう気持ちの高ぶりは、私自身だけの多少の感傷的なものがありました。

ところで、時代はバブル崩壊にて不景気の風が吹く真っ只中での決断でした。しかし、モノは考えよう。不景気だからこそチケットも通常より安価にて購入する事ができ、この計画が実現可能になった訳です。

「よし、創立25周年は全社員でハワイだ!」

(次回に続く)

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