代表取締役 湯川 剛

長い1週間が終わりました。

私にとって1995年1月17日からの1週間は、1ヶ月以上にも感じる長い日々でした。
予定した売上や計画が、全て吹っ飛んでしまった事に対する不安と未来への迷いがそんな風に感じさせたのだと思います。
しかし、日々刻々と知らされる阪神大震災の被災状況によって、私はそれらが実に取るに足らない小さな悩みであるかという事を、まざまざと思い知らされました。
私はこの阪神大震災を通じて、この世の中にはどんなに頑張っても「取り返しの出来ない事」と自らの努力如何によって「取り返しの出来る事」がある事を知ったのです。つまり「取り返しの出来ない事」とは、「失われた命」の事。極論ですが、それ以外の事は取り返すチャンスが残されていると、この時、私は気づいたのです。そう潔く腹を括れば、もう悩む事も迷う事もありませんでした。

「計画が崩れた」という不安から、何と小さな『迷い』の中で1週間もの時間を費やしてしまったのか。25周年記念事業が実現出来ようが出来なかろうが、そんな事は大局から見つめれば、さほど大きな差などないのです。たとえ株式公開の時期がズレようと、また実現出来なかったとしても「命の重さ」からみれば実に小さなものだと思いました。
勿論、掲げた目標が実現出来ない事を、全て「震災」を理由に都合よく逃げるような真似をしようとは寸分も思いません。目標実現に多少のズレが生じる事は仕方がないとしても、掲げた目標は決して忘れずに5年10年ズレ込んでも必ず成し遂げてみせる、そう思いました。

震災によって神戸の事務所は崩壊。しかし幸いにも社員及び家族の皆さん全員が無事であるという確認が取れていました。
次に我々がしなければいけない事、それは被災地に対して「OSGが出来る事は何か」という事でした。その為にまず着手した事は、被災した阪神エリアにどのくらい我々のお客様がいらっしゃるのかを把握する事で、約2万軒のお客様がいる事が分かりました。
地震発生後、何とか被災地に行きたいと思いましたが交通網が遮断され、電車で数十分の距離でさえも自転車で1日以上かかるという状況にヤキモキしながら交通網の復旧を待ちました。

震災発生から19日目の2月5日(日)。私は役員達と一緒に被災地を訪れました。
安否確認が取れてはいても、やはり実際に顔を見るまでは安心出来ないものです。私達は時間の許す限り、社員宅や大阪ガス様の営業所をはじめとしたお取引先様の他、私共の浄水器をお使い頂いているお客様が多くおられるエリアを中心に廻りました。
最も被害の大きかったエリアに足を踏み入れた時の事。全壊した家屋の台所で押し潰されている弊社の浄水器が目に飛び込んできました。それは今でも目をつぶれば浮かんでくるほど衝撃的な光景でした。
その時、私はとっさにある考えが、体中を駆け巡ったような気がしました。

その日の夜。大阪駅構内のハンバーガーショップで私達は全員揃って、かなり遅い夕食を摂りました。顔を突き合わせた男達全員が黙り込んだままという光景は、傍から見ると実に異様なものだったと思います。
皆を寡黙にさせていた訳は、日がな1日歩き回った疲れのせいではなく、また自らの目で見た被災地の被害状況が厳しかったからだけの理由ではありませんでした。

「最大2万台。被災エリアの浄水器を無償で交換しようかどうか、迷っている。役員としての意見を聞かせて欲しい。」

突然投げかけられた私からの質問に対して、皆、返答に窮していたのです。
全員を黙り込ませてしまう程、それは決して簡単に返答出来る質問ではありませんでした。

(次回に続く)

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