代表取締役 湯川 剛

47歳から大学に通うにつれ、大学生の本分はあくまでも自己の学習と友達との切磋琢磨にあり、そういう意味で言うと、やはり大学生活は若い時に行くべきだと強く思いました。
過ぎ去った過去を思ったところでどうする事もできませんが、正直な気持ちです。

夜間大学に通うという事は、時間との闘いであり、その闘いの3年間はあっという間に過ぎ、残すところ1年余りとなりました。

9.リクルートからの就活資料 ************************
1997年1月に私は50歳を迎えました。大学3回生のおわりです。
改めて夜間学生についてお話しますと、昔のイメージでは昼間は働いて夜に勉学する「勤労学生」のイメージがありましたが、そうではありません。

例えば昼間の学生と同じ運動クラブに所属し、練習も昼間の学生と一緒に活動し、時には試合にも出ています。18歳という年齢の学生が半分以上を占めていました。服装やヘアスタイルも今風の金髪に染めた若者やGパンなどカジュアルなファッションの学生もいました。しかし、そんな彼らも3回生の終わりの時期から大きく変身していく訳です。

長く伸ばしたヘアスタイルや服装は、いわゆるリクルートスタイルに変化します。

ゼミのクラスメートの変身振りを目の前で見れば楽しくもあり、いよいよ就職活動が始まるのだなと改めて認識します。私としては採用する側としてそのような学生の変化など知る由もなかったのですが、こうしてクラスメートなどを見ると採用側の参考にもなります。当然、彼らと違って私にはそのような就職活動の心配はありません。

そんな私の自宅にある日、リクルートから大きなダンボールが届きました。何かなと中を開けて驚きました。なんとそれは「リクルートブック:会社研究編」でした。

現在では、企業情報を得るのもセミナーへの参加登録も全てインターネットを使って行なうのが当然の事になっていますが、当時はこのような企業情報誌や、また各企業に資料請求をしたりする事で学生さん達は情報を得ていた訳で、そう思うと就職活動も随分と様変わりしたものだと思います。

「そうか、学生はこのようなものを受け取っているのか」と初めて「リクルートブック:会社研究編」を見ました。その内、新聞社系の就活資料が同じように届き、「そうか、私は学生なんだ。就職活動する学生なんだ」と思いました。学生証明書を見せれば、映画は学割で入り(実際は1度も行っていませんが)、身分は学生なんだと思いました。

その内とうとう自宅に電話が掛かってきて、私が出ると「息子さんいますか。湯川剛君いますか」と企業セミナーの参加勧誘の電話を受け取った事もあります。

1度受けに行こうかなとも思いました。

 

10.リクルートした学生 *****************************
せっかく社長の立場で大学に行ってますので、当然の事ながら我が社に入社して貰いたい学生を探すのは当然の行為です。いました、いました。数名の学生にマークしていましたが、やはり彼らは知名度の高いメジャーな企業か、上場会社にしか興味を持ちません。それならば知名度の高い第一志望群の企業から不採用され、どこも採用しなくなったところを見計らって声を掛けようと思ったのですが、彼らから見れば逆に3年間クラスメートでやっていましたので、何か妙な人間関係で入社するのは多少の抵抗があったのでしょう。

そんな中で上場会社や知名度の高い企業にも応募せず、ズバリ我が社に入社してくれた青年がいました。彼は実家の関係で3〜4年で退社しましたが、素晴らしい社員さんでした。

 

11.卒業の日 *****************************
1998年3月20日、この日は金曜日でした。当日は朝から大阪ガスショップ様を廻り、最後の古市ガスショップ様を16時10分に出て、慌てて関西大学の卒業式に出席しました。19時に卒業証書をゼミの教室で受け取り、20時にクラスメートと飲み会をしました。やれやれ、終わったという気持ちがあったのか、4年間の時間との闘いの苦しさからか、私はクラスメートの前でワンワン泣きました。

正直、時間との闘いは相当厳しいものがありました。「4つの約束」は正直、厳しい約束でした。この約束さえなければ、もう少し気楽に大学生活を送れたかもしれません。

しかしこの「4つの約束」があればこそ真面目に4年間を送れたことは間違いありません。

大学ではいろいろ学びました。いろいろ刺激も受けました。そして多くの温かな人間関係にも触れました。もう明日から行かなくてもいいという安堵感と4年間通学した生活習慣から新たに変わる日々の行動に、アタマとココロを切り替えなければならないという緊張感が交差しました。

第148回から第150回の3回に亘って大学4年間を一挙掲載する事にしましたが、このページで終わりにします。朝7時の出社から夕方17時30分までの仕事の世界から18時30分から始まる全く別世界である学びの世界へと切り替わったいわゆる「二足のわらじ」の4年間は、8年間の体験をしたような気がします。

次回の第151回からは改めて「仕事人間」の1994年に戻したいと思います。

 

追記
2011年1月に、OSGは「OSG東京大学機能水研究所」を東京大学構内(東京都文京区)のフードサイエンス棟内に設立しました。47歳に再び大学に触れたこの経験が、今回の「OSG東京大学機能水研究所」設立に強く影響していると思います。

(次回に続く)

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