代表取締役 湯川 剛

この「人生はプラス思考で歩きましょう!」の掲載は、出来るだけ過去の出来事を時間軸に沿って書いていますが、今回から150回までの3回分は夜学生活の4年間をまとめて掲載したいと思います。すなわち1994年の入学の春から1998年の卒業の春までをオムニバス方式(ちょっと違うかな)で掲載したいと思います。

さて、千里にある関西大学までの移動には、主な勤務拠点であった営業本部(大阪市北区、現在の本社社屋の場所)から次のような時刻表で動きました。
最寄駅の地下鉄南森町駅まで徒歩約7分、そこから乗り入れしている阪急千里線で関大前駅まで約21分、そして駅から大学までが徒歩約8分とおよそ40分近く必要でした。当時の日記には時刻表のメモが残っていて、17時台の南森町駅発関大前駅方面は1分・13分・21分・32分・42分・50分が運行されていました。
逆算すると18時授業開始に間に合わせる為には、何としても「17時32分」の電車でなければ遅刻してしまうのですが、そうすると少なくとも会社を「17時25分」に出発なければならないのです。当時のOSGの就業規則では「17時30分」がいわゆる勤務終了の「定時」でした。つまり「17時25分」だと5分間、早退する事になる訳です。この「5分間」に大変な抵抗がありました。社長だけが17時25分に退社していい特権などありません。
「どうして17時32分と42分の間に関大行きがないんだ!」
自分勝手ではありますが、そんな恨みにも似た気持ちを抱いたものです。
17時35分発の電車があれば17時30分ジャストに退社し、ダッシュで駅に向かって列車に飛び乗り、そうすれば関大前駅に17時56分に到着出来る。そこからまたダッシュで教室に入れば全てが上手くいくではないか。現実はそんなに自分にとって都合よくはいかないもので、実際のところは17時42分に乗り、18時3分に関大前に到着。走って18時8分頃に大学に到着するといった具合で、まさに時間との闘いであったそんな4年間の夜学生活をお話します。

 

1.入学式当日・部活勧誘 *****************************
緊張した入学式を迎えました。社会人らしい新入生もいましたが、圧倒的に若い学生さん達に混じって着席しました。正直、座り心地は150%良くなかった事を覚えています。早くこの場から去りたい気持ちでした。やはり「社長職」が邪魔をしているのでしょうか。心のどこかでは「これはいかん」と思いながら、急ごしらえな学生気分になるには多少の時間がかかるのかなと思いました。「素直とは勇気なり」の言葉を自分自身に言い聞かせました。ともあれ入学式を終え解放された気持ちでした。
入学式終了後、キャンパス内には各クラブの学生さん(やはりこの場合は先輩と呼ぶべきか)が大勢集まり、プラカードを手に入部を呼びかける姿がありました。
笑顔と明るい声で新入生に「○○部に是非」と勧誘している光景に、座り心地の悪かった入学式時とは違って、私自身30年遅れではあっても「青春」を感じさせる気持ちがよみがえり、完全に学生気分でした。そしてなんと私の気持ちは「自分にも声を掛けて欲しい。」という気持ちでプラカードを持った先輩の前を通っていましたが、当然の事ながら私だけには誰ひとりも声をかけてくれませんでした。むしろ避けられていました。
腕を引っ張られるように呼び止められている学生(やはりこの場合は同期生と呼ぶべきか)もいるというのに、正直、少し嫉妬するような気持ちもなくはなかったです。
とはいえ私自身、夜間に通学する事さえ大変なのに、部活で時間を取るなどあり得ない事でした。しかしその一方で「夜学の部活とはどんなものなのか」という興味もありましたし、何より完全に学生気分でいた事も事実でした。

そんな時、私の目に「剣道部」のプラカードが飛び込んできました。殆どの新入生が声をかけられる中、声をかけて貰えない私は「剣道部」のプラカードを持っている先輩に近づき、自ら声を掛けました。
「あの〜、私、今年入学した新入生ですが、剣道を少したしなんでいましたので入部したいのですが」と出来る限り意識して愛想良く伝えました。すると先輩は私を上から下まで舐めるように見てから「いや、たぶん無理だと思います」と応えました。
「どうして無理ですか。私は4段です。」「いや、私達の剣道部は遊びみたいなものですから」「それでもいいです。長くやっていませんので、4段の実力はありません。気にしないで下さい。」「いや、たぶん無理だと思います。」
そんなやり取りをしている内に相手が何だか気の毒に思えて「わかりました。すみません」とその場を離れました。部活勧誘の群れを通り過ぎ、ひとり駅に向かいました。少し残念な気持ちを振り切るように「いよいよ大学生活の始まりだ」と気持ちを切り替えて校門を後にしました。
その後、2回生になってからの事。「剣道部のものですが試合に出てもらえませんか。人数が足らないので・・・」と声を掛けて貰いました。自分の事を覚えて貰っていた事が大変嬉しかった事を覚えています。

2.校則違反:車で通学 ****************************
電車で通学するには「時刻表」という制約と、何より必ず決まった一定時間が必要になる事もあって、次第にある程度、動きに融通の利かせられる車で通学するようになりました。当時はあまり運転中の携帯電話に関して社会的にも問題視されていなかった事もあり、ギリギリまで仕事が出来る利便性からも手伝って、車での通学の方が何かと動きやすかったのです。
しかし大学の校則では原則的にオートバイも含め、車での通学は禁止されていました。
事前に申請をすれば許可を貰える場合もあるとの事でしたが、その申請をする時間の余裕すらなかった私は、やむを得ず無許可のまま車で通学していました。
さて現在はどうなっているかは分かりませんが、私が「車通学」をしていた当時、関西大学の駐車場の入口には入庫チェックの為に警備員さんがいました。校則違反をしている事に少なからず後ろめたいような気持ちを抱いていた私は、駐車場入口に近づくと必ず決まった行動を取るようになりました。それは、携帯電話を手に通話をしながら、駐車場の入口で一旦停車し、そして携帯電話を持ったまま警備員さんに「ご苦労様」というポーズで頭を下げる。すると警備員さんの方も敬礼をして駐車場に入れてくれるのです。たぶん私を教授だと思っていたのでしょう。
この方法で毎日、何事もなく入庫をパスしていましたがある時、いつもと同じように駐車場に近づくと、その日は顔なじみになっていた警備員さんとは違う初めて見る警備員さんが立っていました。電話を終えるまで入れて貰えないそんな雰囲気でしたので、私はやむを得ず電話を切り、「ご苦労様です」と声を掛けました。すると警備員さんは「どちらまで行くのですか」との質問。今までと違った対応でしたが、ここは慌てずに「商学部まで」と答えると「ご苦労様」と入庫の許可を貰いました。私は一度たりとも「教授だ」と偽った言った事はありませんが、相手が勘違いしていた事だけは分かっていました。
私はこの校則違反である無許可車通学を3年間やっていました。
ごめんなさい、警備員さん。

3.日曜日の特訓 *******************************
毎日仕事を終えての通学は苦痛と言えば苦痛ですが、これも考え様によっては贅沢な時間でもある訳です。すなわち「私は毎日、大学教授と話をしている」「体育の時間はフィットネスクラブに通っている」そう思えば、これ程、贅沢な時間はありません。
しかし日曜日の特訓だけは大変でした。私は英語が全く苦手なので、毎週日曜日の3時間、進学塾の英語講師をしている弊社専務の弟さんに依頼し、特訓を受けていました。特訓の内容は、次週分の英語の授業に対する予習です。発音がどうもうまくいかないので、カタカナをつけて発音の特訓をお願いしていました。
さて、いざ授業が始まると私は積極的に手を上げます。それは2つの目的があるからです。1つは授業中の発表得点を稼がなければならなかった事。試験だけでの成績では単位が貰えるかどうか不安だったからです。
そして2つ目は、ほぼ授業範囲はテキストの4ページでしたが、私の予習は殆ど最初の2ページまでしか出来ていなかった為、授業後半では発表が全く出来ないのです。だから予習済の最初の2ページ分を過ぎて3ページ目に突入する頃になると、私は急に静かになり当てられないようにじっとしています。ちなみにクラスでは「英語の出来ない湯川さん」は有名でした。

この「英語の特訓」の他に、つらかった事として「体育の授業」がありました。
夜間部といえど単位取得の為の必修科目は日中に通学する学生と同様で、一般教養科目として「体育」の授業を履修する必要があります。その体育の授業が、文部科学省が設定するカリキュラムの関係もあって、年間に何日間か日曜日に授業が行われました。
これが結構、体がもたなくてつらかった事を覚えています。息子のような同期生と運動するのですから、気持ちがあっても体がついていかないところがありました。

授業が終わった後、体育担当の成山先生がこんな話をされました。
「膝がギシギシいっている人は、関節の潤滑油が足らない証拠。そういう人は膝にサラダ油を塗ればいい」そんな先生の助言を聞いた私は帰宅後早速、サラダ油を塗りました。
後日、それが冗談であるということが分かったのですが、それ程、私は全てを真面目にとらえて授業を受けていたのです。

(次回に続く)

ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp