代表取締役 湯川 剛

1994年、新しい年が明けました。新年の挨拶や新年会、それに新年早々から大阪ガス(1/10)や西部ガス(1/11)で新春セミナー「明るさの磁場」などがあり、相変わらず年の初めから仕事に没頭され受験に対する心構えなど気持ちの整理も出来ないまま1月15日を迎えました。

大学に行って驚いたのが、社会人枠と言いながら20代30代と若い人達が結構いた事です。
問題の英語の試験は10時30分からで、内容はハンガリーの市民運動についての英文を訳すというものでした。長男のアドバイスを思い出しながら1時間があっという間に終わりました。
午後の試験までの1時間半、試験会場で知り合った青年とランチを一緒に過ごしました。ある国の領事館に勤務しているという彼に、私は英語の試験内容を確認してみようと試みましたが、彼にとっては47歳になる私が受験している事に興味を持ったようで、しきりに不思議がっていました。
13時からは論文の試験で、テーマは「企業の社会責任」「人口の将来」のいずれかを選択するものでした。私は迷わず「企業の社会責任」を選びました。
試験というよりむしろ、企業家である私にとってこのテーマは「考えされられた1時間」で、間違いなく企業には社会的責任があり、しっかりとその役割を私自身が認識する為に良い機会を与えられたと思いました。
そして14時15分からは、いよいよ個人面接です。全てはこれに賭けるしかないと思いました。英語の解答が不十分であったとしても、論文が的外れに書いてあったとしても、何としてももう一度「学びの場を得たい」と思いました。面接官は2人。領事館に勤務する青年と同じく、2人の面接官も私の年齢に大変興味を持たれました。関西大学として社会人枠での入学制度はまだ2年目でしたが、その傾向としては20代かギリギリ30代、もしくは定年を過ぎた年齢だという事です。要するに年齢的にも一番忙しい時期で、ましてや社長業をしているのに通学できるのかという事です。もし入学するなら全国的にも珍しく、たぶん事例がないのではないかと言われました。そう言われると私の性格からすると益々挑戦してみたいと思いました。
私が考えている以上に過酷な4年間になるかもしれないが、私にとってもギリギリの年齢だと思いました。面接官の教授も好意的に対応してくれました。


追記
今年のホノルルマラソンは、不覚にも昨年よりおよそ38分遅い7時間35分07秒という結果でした。

「5時間台で完走目指す」「昨年のタイムを1分でも縮める」と目標を宣言しましたが、ふがいない結果に終わりました。原因はズバリ、走り込みが足らなかった事。つまり練習不足です。

今回の反省をバネに、次は頑張ります


 

さて、2010年もあとわずかとなりました。今年も日々の仕事の中でこの「人生はプラス思考で歩きましょう!」を無事書き終えた事に感謝の気持ちでいっぱいです。
今年もいろいろな事がありました。特に今年は創立40周年という大きな節目の年でした。
来年1月20日には、おかげさまで創立40周年記念式典を行ないます。これも多くの皆様方の支えがあっての事だと、改めて感謝する次第です。

本日の【第144回:大学受験】は1994年1月、私が47歳になった時の話です。
関西大学から入学の許可を頂いたのですが、しかし私の立場としてそれですんなりと大学に行けるはずがありません。まだ許可を貰わなければならない人がいます。それは社員さん達です。そしてお得意先様や銀行関係などの人達の協力がなければ私の大学生活はありません。

その為、私はアンケートを取る事にしました。これらを【第146回:4つの約束】(1月15日)でお話したいと思います。今年もありがとうございました。

(次回に続く)

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