代表取締役 湯川 剛

順調に進んでいるように見えていたI農機の販売に大きな落とし穴がありました。
次々に決まるI農機の売上の中で、I農機側の事情で1万台程の集金が遅れるという事態が発生しました。それは売上が上がれば上がる程、資金繰りが廻っていかない状態でした。
しかし「まずは売上を上げる事」が当時の私の第一優先でしたので、この日も奈良I農機に大きな商談をしていました。奈良I農機を訪れる前に、公衆電話から財務担当の役員に電話をしたところ、「銀行の融資は断られました」との事。私の胸の中に大変な矛盾を感じました。

資金繰りを狂わせたのは、I農機の回収の遅れ。しかも銀行の融資は断られ、もしかすれば倒産するかも分からない状況の中で、私はそのI農機の地域事業会社である奈良I農機に今から商談に行く訳です。よくよく考えて見れば、私の製品で相手側の資金を作り、同時に自分の首を絞めているような感じでした。売上を上げれば、その分、余計に資金が廻らなくなる訳です。しかし売上を上げなければ利益はありません。こんな時に限って大きな商談が決まり、嬉しさと資金繰りの悩ましい問題ですぐに会社に電話をしました。
当時はバブル崩壊後の資産査定が急降下し、融資枠が考えられない程、縮小されました。
取引しているメイン都市銀行のS銀行からは地方銀行のO銀行に掛け合うように言われました。
いずれにせよ融資が断れれば全てが狂ってしまう訳で、約束手形は不渡りになる状況でした。
私は大和高田から商談の為に京都に行き、夜遅くI農機本社の担当者とヒルトンにて面談し、早期回収を依頼しましたが、何の進展もありませんでした。翌朝O銀行に行き個人保証でも何でもしてくれと頼み込み、何とか急場を凌ぎました。
翌日、朝一番にS銀行に行きましたが行内の応接がいっぱいとの事で、カウンターの前に座るようにと言われましたが、「誰がカウンターの前に座るか」と40分以上も立ちっぱなしで待っていました。S銀行から「O銀行に行ったか」の質問に、行っていないと応え、とにかくこのままでは黒字倒産になるので何とかして欲しいと泣きつきました。結果的には21年間、頑張って積み立ててきた預金を解約しろとの事でした。
当時の私の日記には、こう記されています。
「仕方がないが、21年間頑張ってきたものはこれで消えてしまった。きっと必ず取り返してやると思ったが、今日のこの事態を招いたのは自分にある。銀行のせいではない。経営は恐ろしい。事業は恐ろしいと改めて本日思った。」

何よりボーナス支給日当日の事で、銀行から融資された資金をボーナス袋に封入しながら、このお金は遊ぶ事も放棄し、一生懸命自分が21年間貯めてきた金やないかと思いつつ、『つらいなぁ〜。でも自分は親分やさかいなぁ〜。』と、当時の日記(1992年6月30日)に書いてありました。
もしかすれば倒産するかもしれないギリギリの状況の中で胃が痛くなる数日間でしたが、全てが終わった30日の夜、アントニオ猪木氏より電話がありました。「スポーツ平和党として元プロ野球選手を候補者として立てるので協力して欲しい」という内容でしたが、これがもし1日早ければ私は上の空で聞いていた事でしょう。

(次回に続く)

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