代表取締役 湯川 剛

1990年に創立20周年を迎えるに当たり、私は2つの決断を迫られていました。
1つは12年間続いた低周波治療器「猪木のリズムタッチとの決別」に対する決断。
そしてもう1つは日本水道協会の「浄水器型式審査基準」施行に伴い、いよいよ家庭用浄水器が生活必需品としての道を歩むのではないかという展望から、「いざ、浄水器の新型開発及び生産に乗り出すぞ!」という決断です。その為には新型開発による金型費用をはじめ、莫大な費用が必要でしたが、ここに来てまたしても大きな障害が私の行く手を阻んだのです。

私の前に立ちはだかったもの。それは1990年の春に行なわれた「総量規制」でした。
当時の大蔵省が各金融機関に対し、経済政策の転換策として行なったもので、それまでの土地・株のバブルから一転し、行き過ぎた不動産価格の高騰を沈静化させる事を目的に実施された行政指導でしたが、結論的には想定以上の急激な景気後退(いわゆるバブル崩壊・日本経済の失われた10年)をもたらす要因の一つになりました。当初は不動産業やディベロッパー・建築業を対象としたものだったのですが、実際にはそのような業種枠に関係なく、総量規制はあらゆる業界に対し行なわれました。
私達は「新型浄水器の開発こそが将来に生きる道だ」と決断し、銀行に融資を依頼。
ところが銀行は「新製品開発の融資などとんでもない話だ」と、融資はおろかこれまでの借入分の返済を求めてきた挙句、担保の見直しや新たな担保の追加をも要求され、いわゆる「貸し渋りと貸しはがし」の憂き目に遭いました。

幸い、私はバブル期に不動産を積極的に購入する事はしていませんでしたので、返済要求された借入は事業資金に対するものでしたが、それにしても融資のストップは大きな打撃でした。
私は当時、銀行担当であった専務に「私達は今日まで築き上げてきたリズムタッチを、まさに断腸の思いで断ち切った。明日のOSGを築く為には、何としても新型浄水器の開発資金が必要だ。土下座しても、何としてもこの資金が要るのだ」と強く訴えました。

事実、専務は銀行で土下座して「何故、必要なのか」を訴えたらしいです。その思いが通じたのか、融資担当者は「今までの借入返済はやらなくてもいい」との回答で、いわゆる「貸しはがし」は回避されましたが、新たな融資に対する銀行の回答は「OSG所有の土地・建物などの物件を1つ売却しなければ、本部は新しい融資を認めない」という事でした。

当時、東京・大阪・福岡などで売却可能な物件は5つあり、銀行もその5つから1つ選んで売却するように勧めていましたが、私にとってそれらは全て大事な営業拠点でした。

私は今だかつて、売却収益を目的に不動産を購入した事はありません。いわゆる「土地転がし」で収益を得る事など、私には全く関心がないのです。いずれも営業拠点として必要だから所有している物件を「売却しろ」というのです。しかも期限は「明日まで」だと。そうしなければ融資は出来ないとの銀行の回答に、私は決断しなければなりませんでした。

(次回に続く)

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