代表取締役 湯川 剛

相変わらずGAT訓練の依頼や販売キャンペーンの注文は入ってくるのですが、やはり強力なライバルの出現によって従来成立していた売上が2割減・3割減と影響を与えてきました。
市場の最先端に出ている社員さんから見れば「大企業の参入でこの会社は大丈夫なのか」との不安や、私が忙しいばかりに生じたコミュニケーション不足は、急場しのぎのENJIN−ミーティングでは全てを解決したのではありません。私が非常に期待し将来、会社の屋台骨となる優秀な社員さんが辞めて行きました。

時はバブル絶頂期から終焉にかかる時でした。私達が取得した不動産も桁違いの評価を受けて、事実1億円で購入した土地を50億円で買いにきた時もありました。当然売却はしませんでした。不思議なことにバブル期で不動産を購入した事もありません。
バブル崩壊後、友人や銀行・馴染みの不動産が「土地に興味のある湯川さんが、どうしてバブル期に土地を購入しなかったのか」との質問をよく受けました。バブル後、本業が上手くいっていても不動産に手をつけたばかりに、その企業が破産した事例は、私の周りでも多くありました。それだけに皆は、それなりの評価をしてくれるのですが、実はこのバブル期がOSGにとって売上低迷であったという事です。ケガの功名と言えば聞こえはいいのですが、それ程売上が低下していきました。売上低下も辛かったのですが、それ以上にその影響を受けて社員さんが辞めて行くという事でした。

以前にもお話しましたが、辞めていった社員さんに対しては心のどこかで「永遠の別れではない」という気持ちがありますので、とことん留めようという気はありません。「いつでも遊びにおいで」と言って受け入れるのですが、やはり寂しいものです。また優秀な社員さんの退社は、社内の動揺もあり更にネガティブムードが社内に浸透していきました。

創立20周年という大きな節目の中で超ライバルの出現や社内の戦力低下。それに第1次・第2次と連戦連勝であった年次計画も大きく頓挫し、益々窮地に追い込まれていきました。
5年毎に開催していた周年式典はどうすればいいのか。そういえば15周年の式典の席上で「おかげ様で第2次5カ年計画も第1次7カ年計画に引き続き、達成しました。5年後には第3次5ヵ年計画の勝利をご報告出来る20周年式典にしたいと思います。」と多くのお客様や社員の家族の皆さんの前で宣言した事はどうすればいいのか。もし聞かれても「花博出展が創立20年の式典の代わりです」と言い訳しようかと。しかしそんなことは何の解決にもなりません。

根本的な解決をしない限り、この問題を避けて通る事は出来ないのです。
根本的解決とは「他社の製品より優位性のあるものを作る」か、もしくは「他社の製品と同じ土俵に上がらない。すなわち撤退の道しかない」のいずれかの決断をしなければならないと思いました。社員さんに対しても、どうすればいいのか。私は大きな決断を迫られました。

しかも1990年3月に当時の大蔵省から金融機関に対し、「総量規制」が指導されました。
この「総量規制」が次なる一手に対して大きな障害を与え、創立20周年は祝い事ではなく、私に更に大きな試練を与えてくれました。

(次回に続く)

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