代表取締役 湯川 剛

新年あけましておめでとうございます。OSGコーポレーション(略:OSG)は今年で35周年を迎えます。35年の節目は、私自身にとっても会社にとっても、大きな変化をもたらす1年になると思います。

1995年の11月に、OSGはハワイで25周年パーティーを行ないました。その式典の席上で「5年後の30周年に株式上場をやり終え、35周年には社長をバトンタッチします」と社内で言うところの「ハワイ宣言」を全社員の前で行ないました。2つの約束のうち1つを実現し、もう1つの約束を実行しなければならないのが、この35周年を迎える今年です。

「後継者は育っているのか」との質問に、ただ笑っているだけが、いつもの私の返答でした。後継者になる方は大変です。2〜3年は七転八倒、右往左往、四面楚歌、あとどんな四文字熟語があるでしょうか(笑)。とにかく大変です。社長に就任したその瞬間から社内の統制は求められ、先代との比較をされ、何よりも収益を追及され、勝負に勝ちを要求される訳です。

よく「アマチュアは和して勝ち、プロは勝って和する」というように、極論ですが勝っていれば社内の統制も形成される訳で、そのような意味で「収益は七難隠す」とは的を得た言葉です。いずれにしろ、常に「勝ち」を要求される後継者は重責を背負わされる訳です。ですから後継者を育成するという事は、同時に収益を生む各部門の責任者の育成に力を注ぐ事と、リンクされている訳です。まさに車の両輪です。

もちろん後継者は、収益さえ上げていればよいというものではありません。OSGの築き上げてきた経営理念や文化の継承は、当然引き継ぐものです。そこには私自身の考え方や生き方のエッセンス(本質)が含まれています。その考え方は社内の考え方に留まらず、お客様や協力関係の皆様、そして株主様に対する考え方にも、影響を与えているのではないかと思うのです。

35周年を迎え、ただ後継者だけでなく、OSG全社員がこの機に再度確認する必要があるのではないかと、新年を迎えるにあたり思った次第です。そしてその思いはOSG社内の教育指導だけに留まらず、お取引先様やお客様、そして株主様にも「OSGとは、そういう会社なのか」とスッピンのOSGを知って貰おうと、ホームページに思い切って掲載する事にしました。エイッヤー!!の気分です。

月のうち3分の1は海外出張ですので、その分、社内での業務は早朝から夜まで仕事をこなしても、時間が足りず、その間隙をぬって月1〜2回のペースで掲載出来れば理想です。「人生はプラス思考で歩きましょう」のタイトルには、さほどの時間はかかりませんでした。30秒以内でした。正直、思いつきのままのタイトルです。私の言葉のストックも大した事はなく、よってあれこれ知恵を絞ったものより「30秒以内」の方が私のエッセンスとしていいのかもしれません。

【第1回:OSG誕生5年前】

1970年8月29日。この日付が法務局にOSGを登記した日です。23歳でした。
1965年2月9日、父親の会社が倒産した日です。大学進学の年でした。18歳でした。
1957年、父親は米国スーパーマーケット視察団として参加し、帰国後、当時としては珍しいエレベータ・エスカレーター設置の店舗を新築しました。当時、7店舗のスーパーマーケットを経営していましたが、設備投資過剰というお決まりのコースを辿ったのです。

実は私の机の前に「倒産の道」というメモ用紙が貼ってあります。「市場を越えた事業拡大」「指導力を超えた組織拡大」「資金計画を超えた投資拡大」そして「経営のバランスを崩すな!!」。セピア色のメモ用紙ですが、ときどき見ては、戒めています。自戒の言葉です。
父親の場合、資金計画を超えた投資拡大に当たったかどうかは、当時の私には分からない話でしたが、後年、父と同じような立場となって考えると、それだけでなく指導力を超えた組織拡大もあったかもしれません。

さて、父親の倒産は一家に大きな変化をもたらしたのでしょうが、当時の私はそれ程深刻に事態を見ていなかったきらいがあります。税務署の差し押さえや金融関係の人達がある日突然、店舗を兼ねた住宅の周りに板壁で周囲を囲みました。今から考えれば近所の人は「気の毒に」と思ったかどうかはわかりませんが、当の本人は恥ずかしいとか辛いという認識はあまりなく、近くの公園でキャッチボールをしながら、板壁で囲まれた異様な雰囲気の自宅を見たり、板壁を背にしながら友人らと雑談をしている自分が記憶にあるだけです。かなり鈍感な青年だったのかもしれません(笑)。もう1つの記憶といえば暴力団らしき怪しげな人が家にまで来て、気丈夫だった父親が追い詰められている姿に、ただただ「父親が可哀相だ」という記憶だけが残っているだけです。
板壁に囲まれた自宅と、恐ろしく怖かった父親が可哀相に見えた事だけが倒産の記憶です。

もちろん倒産をもたらした火の粉は、私自身にも降りかかってきました。これは記憶などというものではなく、むしろ現実の問題として、自分自身の根幹を揺るがしたものです。

それは2つの出来事です。1つは大学進学の断念ともう1つは600万円の借金返済を18歳の自分に充てられた事です。当時、高卒の給料は2万5000円〜3万円くらいでしたので、現在の金額で換算すれば4000万円程度でしょうか。家を一軒買えた金額です。

進学断念と多額の借金!! 他人が聞けばこれ程不幸な18歳の社会への旅立ちはいないと思うかもしれませんが(笑)、実はこの2つの出来事が、私のそれから以降の人生に大きなプラスを与えてくれたのです。

(次回に続く)

《編集後記:第一回目を掲載するにあたって・・湯川の後日談》

今年35周年を迎えるにあたって、昨年秋よりOSG社内では5つのプロジェクトと各小委員会、そしてプロジェクト事務局での組織が発足されました。過去の記念事業ではほとんどがトップダウンで運営されていましたが35周年の記念事業では社内の総意を汲み上げて運営する事になりました。『キャッチ35』と『サポート35』は35周年記念販売促進、『ステップ100』は社内イベント、『アクション3』は35周年記念製品開発、そして『メイト500』は500人体制へのプロジェクトです。

プロジェクト事務局(明日のOSGを考える会)のメンバーは平成9年入社の本社所属(経営企画室、業務部、販売促進企画部、海外事業部)4人のメンバーで構成されています。

さて、今回ホームページへ掲載するにあたり、初めての経験なのでこの事務局メンバーの4名にあらかじめ文面に目を通して貰い、個別に感想を貰うことにしました。

「私たち若い社員の知らない歴史やエピソードなどがこのような形で知らされ、大いに楽しみにしています」「1社員として社長の駆け出し時代はぜひ読んでみたいと感じました」「上司から昔の話を聞く事がありますが、社長から直接このような形で話されることでより具体的にOSGの歴史がわかるのではないかと期待しています」「創立期当時の話を知る機会になれば今の仕事にも理解が深まります」と全般的な感想としては歓迎ムードでした。おそらく90%はヨイショがあるのでしょう(笑)。彼らも大人になったものです、社長を喜ばせる事を心得ています(笑)。

しかし彼らの感想文の中で私にとって意外だと感じさせるものがありました。それは冒頭で書いた「ハワイ宣言」の話のくだりです。「35周年には社長をバトンタッチします・・・」のところです。彼らはそれを一様に「社長をバトンタッチ=社長引退」と受け取り、「今すぐにでも辞めるのではないか」という事でした。何せ行動派の社長ですから(笑)。要は彼らの考えの中に『人生はプラス思考で歩きましょう』は社内だけが読むのでなくお客様や投資家の方も読まれ、「社長引退」が「株価に影響するのではないか」「投資家の皆さんが変に勘ぐったりはしないか」などでした。意外な反応でした。

私の文章は、まるで明日にでも辞めるかの様に受け止められるものだったのでしょうか。彼らの反応に正直、私は驚きましたが同時に嬉しくなりました。それは株式公開企業としての影響を考えたのでしょう。彼らのもうひとつの大人になった面も発見したものです。頼もしいと思いました。

話はもとに戻りますが、「ハワイ宣言」は当然のことながら進めていきたいのですが、しかし計画通りにいかないのが経営です。私としては58歳という体力的にもまだ余力があるうちに社長職を退き、たとえば会長職などに就任して後継者(次期社長)の育成とバックアップに努めたい計画でした。

さりとて、私のこのような思いとは別に本当に株価に影響するならばと、親しい投資家の方に社員の意見も伝え、事前に文章を読んで頂きましたところ、次のような感想を頂きました。

『拝見しました。特に問題はないと思います。経営者は必ず交替することになりますし、後継者について言及することはむしろ好感されると思います。内容もとても共感できます。2回目以降も楽しみです。これで株価が下がるとか影響する事はないでしょう。』

さて第2回目に進めたいと思います。次回宜しくお願いします。

(次回に続く)

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