代表取締役 湯川 剛

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生して、22日目の朝を迎えました。
亡くなられた方に心よりお悔やみ申し上げます。
被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。
そして日々、支援・救援活動にご尽力されている皆様には、頭が下がる思いでいっぱいです。心より感謝申し上げます。

2005年1月1日から月2回(1日・15日)の掲載をしています「人生はプラス思考で歩きましょう!」は3月15日更新に続けて、今回(4月1日更新)も休ませて頂きます。
6年にわたり掲載してきましたが連続のお休みは初めての事です。

私は前回の更新日である3月15日、神戸市長田区の販売店様を訪問していました。1ヶ月以上も前からのお約束でしたが、まさか今回の地震発生から4日目の朝にお会いするとは思っておりませんでした。社長さんからは阪神大震災当時の貴重な話もお聞きました。
阪神大震災が発生したのは1995年1月17日で、既に16年と数ヶ月が経っています。
当時、私は発生から19日後の2月5日(日)に被災した社員宅を訪ねました。当時は今のように携帯電話もそれ程普及していませんでしたし、通行規制もあって19日間も社員さんと会えなかった事が非常に残念でした。

私はその経験から今回、地震発生から9日後の3月20日に仙台支店や盛岡営業所の社員さんに会いに行く事にしました。当然、仙台空港が被災した為、空路で直接仙台入り出来ない上、東北新幹線も動いてはおらず、陸路での移動も通行規制があるという状況下、何とか仙台入り出来ないものかとあらゆる方法を探りました。
その結果、東京から新潟に入り、山形経由で仙台入りする方法が最短だと分かりました。
新潟からは車で4〜5時間かければ行けるとの事で、新潟営業所の責任者に運転を依頼し、車いっぱいに物資を積んで行きました。
朝7時に東京駅を出発後、9時間近くかかってようやく仙台市内に辿り着きました。私は阪神大震災で長田区が焼け野原になった光景と、押し潰されるように崩壊していた三宮駅や駅前のオフィスビルを見た経験から、そんなイメージを持って仙台市内に入りました。
ところが仙台駅や駅前のオフィス街の外観は予想に反して、それ程のダメージを受けていないように感じました。
勿論、それはオフィス街の外観だけのイメージであって、実は大変な状況だと思います。
大変悲しい事でありますが報道によると死者・行方不明者数が阪神大震災で亡くなられた方の数より4倍以上にも及び、29日(火)21時時点における警察庁発表の被害状況は死者・行方不明数:2万7500人超との事です。都市集中の被害であった阪神大震災とは違い、今回の地震は地震そのものよりも津波による被害が甚大で、事前にテレビ報道で認識していたとはいえ、どれほど沿岸部の方々に悲惨な被害を与えたのかと、市内を見て改めて強く感じました。また一時26万人近くもおられるという報道があった避難所生活をされている人々も29日現在、警察が把握している避難所:2056カ所(17都県)において17万5020人との事で、「避難所から親戚縁者らのもとに身を寄せる人が増えたため減少した」と説明されていますが依然、不自由な生活を強いられている人々が多くおられる現実には、胸を痛めるばかりです。

そんな状況下、市内青葉区にある仙台支店は水道・電気は通常通り使えたようで、数名の社員さん達が地震以来、支店内で寝食を共にしていたとの報告を受けました。
社員さん達の家族の安否状況を聞くと、御祖父を亡くした社員さんがいる事が分かり、残念で仕方がありませんでした。また避難所で不自由な生活をしている社員さんもいるとの事でした。私が仙台に来るという事で、盛岡営業所の責任者も仙台支店に駆けつけてくれ、その夜は再会出来た社員さん達と取引先の幹部の方も同席し、運んできた物資で夕食を共にしました。

幸いに再会できた社員さん達の自宅は小さな被害で済み、ご家族の方も無事である事が確認出来た為、私は彼らに次のような提案をしました。
「少しでも動ける環境のある人は、動けない環境の人を助けなくてはならない。
動ける環境にあるならば、いつまでも助けて貰っている側にいてはダメだ。本当に助けなければならない人達の邪魔になるかもしれない。助けに行ける環境にあるならば、そちら側のチームに入るべきだ。来週から支援する側にスイッチを切替ないか。その為にはOSGグループの全社員が総力挙げてバックアップする。」
「日頃、考えていなかった生と死に対して、今は身近に感じる環境にいたのだから、この辛い体験を経て、改めて『生きる意義を発見』して仕事をしてみようじゃないか。それらを明日からの強みにしてほしい。1日も早く元の生活に戻る頭と体にしなくてはならない。私は君らに『生きる意義を発見する』事を知らせる為の義務と責任を持って仙台に来たのだ。」

最初出会った時の彼らの顔は、笑顔もぎこちなく魂の抜けた感じでしたが、私の話を真剣に聞いてくれ、少し顔に赤みを帯び、本来のいい顔に戻ってくれました。
この日、水道が復旧したとの事で1人を省き、他の全員が自宅に戻れる状況になったというので、私はその日宿泊する予定であったホテルをまだ自宅に戻れない彼に譲り、私は彼らが地震発生以来寝泊りしていた支店で寝る事にしました。
彼らは自分達が寝泊りしていたのと同様に床にダンボールを敷き、寝る準備をしてくれました。不自由な避難所と比べれば、天国と地獄のようなもので感謝の気持ちで休ませて貰いました。

話は変わりますが、愛する人を失い、肉親を亡くし、財産も無一文になりながら、神戸・長田区をはじめ阪神大震災に大きな被害と絶望感を受けられた多くの方々は見事に復興されました。
安否不明の肉親を茫然として捜す姿に、私だけでなく多くの人々が涙なくして正視できません。
でも、私は信じるのです。
仙台の街もそして多くの被害を受けられたそれぞれの地域の方も、きっと神戸には負けない位の素晴らしい力を発揮され、復興されると信じています。

私は被災地仙台を訪れ、改めて人生はプラス思考で歩く事が大事だと思いました。
人生を歩む上で辛い、悲しい出来事は、避けて通れないものです。私がいう「人生はプラス思考で歩きましょう!」という言葉の裏には、そうでなければ明日に向かって前進できない事も起こり得るからです。前を向いて歩くには、まずはプラス思考を持つ事から始まるのです。
がんばれ東北、負けたらアカン東北。

 

 

追記
ホームページ更新予定日の4月1日を前に、私は3月26日から3月31日までシカゴ・メキシコへ出張の為、今回の記載内容は出張直前に執筆。(その後、部分修正実施)
23日、驚くようなニュースが発表されました。
「首都圏の水道水放射性物質『乳児摂取控えて』」
このように出張期間中に予測も出来ない新たな地震や二次的問題発生があるかもしれませんが、その場合、今回の記載内容が相応しくない事もあるかと思います。その時はご了承・ご理解の程、お願い致します。

4月15日更新からは、「人生はプラス思考で歩きましょう!第150回」に戻ります。

(次回に続く)

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