代表取締役 湯川 剛

病床の中で「とにかく素晴らしい人を紹介するので、是非とも会いなさい。俺の遺言だ」と中野相談役の強い勧めもあって、松下本社の役員で松下冷機の元社長の横井克己氏と会いました。最初にお会いした時、少年のような目をされていたのが印象的でした。たぶん当時の39歳の私の歴史の中で出会った超メジャー級の人でした。裏千家今日庵常任顧問などの要職にも就いておられたので、いくら中野相談役のお話とはいえ、こんな小さな会社の顧問になることはないだろうと思いながら面談をお願いしました。
しかし殊の外、私に興味を持って頂き、顧問になって頂く事になりました。

横井顧問は昭和18年に京都帝大(現、京都大学)法学部を卒業され、内務省に入省し、海軍主計大尉で終戦を迎えられた後、官界(警察職)で活躍され40歳を過ぎてからビジネス界(松下電器産業)に転職された経歴をお持ちの方で「恐らく松下の幹部の中で私ほど変わった経歴を持っているものは少なかろうと思います」との事でした。
横井顧問はその他にも、将棋界の大御所である大山康晴永世名人の関西大山会の会長などの要職をされていた関係もあり、月に1度将棋の指導を受けながら、様々な経営についてのお話を聞くことになりました。特に松下幸之助創業者のお話です。
実は私の本棚には数千冊の書籍がありますが、松下幸之助創業者や松下関係の書籍は100冊近くあります。それ程「松下幸之助さんファン」でした。その松下幸之助創業者に直接経営指導を受けられた横井顧問ですので興味が倍増しない筈はありません。

しかし特に横井顧問が私に大きな影響を与えたのは、社団法人アジア協会・アジア友の会会長としてのボランティアによる社会奉仕でした。今までにも身障者の方々に対するボランティア活動は行っていましたが、特に井戸などの社会奉仕はOSGの仕事がら、お役に立ちたい気持ちでした。その年の6月にインドに第1号の井戸を贈呈する事から始まり、それ以降アジア各地に井戸を贈呈しました。
OSGが株式公開した2001年以降も私個人の費用で井戸を贈呈し続け、同年から毎年カンボジアに小学校校舎を建設するようになり、2009年の今年で9ヶ所目の小学校校舎が完成します。

当時、がむしゃらに「仕事1本の生き方」から何とかこの男に文化らしいものをつけてあげようと横井顧問が思われたのか、私に仕事以外の世界を教えてくれました。
ただ、最後まで茶道の世界を勧めてくれなかったのは「この男にはまだ無理だ」と思われたのかどうかは分かりません。(笑)

1986年の出会いから亡くなられる2000年までの15年間に、公私にわたりお世話になりました。2001年の株式公開の実現は仏前報告となりましたが、「この男は面白い」と小さな会社の顧問を引き受けて頂いた事は、中野相談役と同様、OSGを支えて頂いた貴重な出会いです。

この「プラス思考で歩きましょう!」の中にも今後、横井顧問は重要な場面で登場されます。

(次回に続く)

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