代表取締役 湯川 剛

1984年という新しい年が明けました。1月15日の37歳の誕生日に私は社長兼営業本部長に就任し、全営業部の指揮を執る事にしました。前年の12月末現在で社員数は180名になっていました。私は営業本部長就任を機に幹部社員に対して「この1年の間に『織田信長』に関する本を読み、感想を提出するように」と指示しました。

「リズムタッチは真っ赤に燃えている」というコピーをコマーシャルで使うよう、私は広告代理店に指示しました。広告代理店は「どうして低周波治療器が真っ赤に燃えているのか。製品と全く関連性がない」と大反論されましたが、私は「リズムタッチが低周波治療器業界の日本一になる。そして全社員もその思いでいっぱいなのだ。その表れがこのコピーなんだ」と押し切りました。コマーシャルソングも作る事になりました。猪木さんが砂浜を走る映像のバックで「男の心は真っ赤に燃えている。リズムタッチ〜♪」というコマーシャルソングが流れる、そんなCMに仕上がりました。当時はスポットや提供番組等を持ち、利益の大半をテレビCMに費やしました。全国区でのCMは多額な費用がかかる為、関西中心のCM放映でしたが、当時の男性は殆どこのコマーシャルを知っていました。25年を過ぎた現在でも40歳前後の男性で関西出身の方はこのコマーシャルソングを覚えて貰っています。

「日本一実現」に向けてCMに力を入れる一方、社内においても徹底した社員教育を実施しました。営業所が全国に広がり、以前のように顔を見合わせて教育する事は出来ませんでした。現在ならばテレビ会議やメールなどの伝達方法も多様化されていますが、当時の伝達方法は大変に限られていた為に、私は「営業本部長発のマネージメントテープ」という教材テープを毎週幹部社員宅に送りました。幹部社員の皆さんは毎週送られてくるテープを聞き、感想文を書かなければならないので大変だったと思います。
5月には販社制度を採用し、九州リズムタッチ販売会社・関西リズムタッチ販売会社・東海リズムタッチ販売会社・東京リズムタッチ販売会社の4社を設立。それぞれが競い合いました。

当時、私は社員教育のコンセプトに「優勝劣敗」の4文字を徹底的に使っていました。
「我々が優秀なら日本一は実現できる。もし劣っているなら日本一は実現できない。すなわち日本一とは、我々が優秀なビジネスマンである証でもある。優秀なビジネスマンであるならば、どの企業に行っても通用する。社員の皆さん方の市場価値も高くなる。この日本一の挑戦は各自の能力の挑戦といっても過言ではない。私達は優秀なのか、劣っているのか。」
会議では勿論の事、毎朝の朝礼でも訴え続け、そして給料袋の中にもメッセージを入れました。

まさに社内は、「リズムタッチは真っ赤に燃えている」状況でありました。

(次回に続く)

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